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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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親鸞と橘嘉智子、死にいさぎよし。


親鸞(1173~1262)は、鎌倉時代初期の僧で、浄土真宗の開祖。比叡山で天台宗などを学んで、二十九歳のときに法然と出合った。法然に師事して、念仏他力門になる。越後に流されて、恵信尼と結婚。善鸞と覚信尼を生む。その後、許されて常陸・信濃・下野(しもつけ)などで、教化(きょうけ)活動。浄土真宗を開き、阿弥陀による万人救済を説く。『教行信証』『愚禿鈔』などを著した。『歎異抄』は弟子唯円の著。「見真大師」とも言う。

橘嘉智子(786~850)は、嵯峨天皇の皇后。仏法への信仰が非常にあつく、京都嵯峨に檀林寺を建てた。また、私学として学館院を設立した。檀林皇后と呼ばれる。

なぜお二人が、死に関してはいさぎがよかったのかというと、親鸞は「自分が死んだら、死体を加茂川に流して、魚の餌にしなさい」、段林皇后は「死体は裏庭に放り出し、犬の餌にしなさい」と書き残しているからである。実際には、お二人とも周りの人たちがそうしなかった。
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