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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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深入りをしてはいけない齢(よわい)になりぬ。


あれもやりたい、これもしたい、などと若いころは考えた。そして思いどおりに、何とか全部をやったもんだ。しかし、最近になって体力が続かない。すぐに、飽きてしまうのだ。だから、やってみると最初に考えたほどには、どうしても仕上がらない。つまり、思ったように完成しないのである。

しかし、考えてみると最初の「思い」がムリな要求であったことが多い。完成度や仕上がりに関して、欲が深いのかもしれない。思いと結果が異なると、かなりジレンマが残ってしまう。

古希に近くなると、もしかしたらすでに「深入りをしてはいけない齢」なのかもしれない。それは何となく、おのれの限界を知ってしまう年代だからかもしれないが、……。
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いろいろと工夫をしても、ムリとムダあり。


人生には、いろいろと工夫をしてみても、後で振り返ると多くのムリとムダがあるようだ。そのときは、何となくうまくやったつもりでも、かなり後悔をすることがあるからだ。

そもそも、それが人生なのかもしれない。
そして、恥や悔恨が残ってしまう。それならば、いっそ工夫などをせずに、なるがまま、なすがままに生きたほうがよいのかもしれない。

ホームページについても、同じことが言える。
一所懸命になって作ったホームページではあるが、いま考えるとムリとムダが、かなりあったみたい。そして、それどころか意味のないことが、あまりにも多すぎるので愕然。
何とかならないものか。
ムダなこと、ムダな情報、あまりに多い。


自分自身のことはさておいて、インターネット上には、ムダなことが非常に多い。なぜならば、ムダな情報が氾濫しているからだ。もっとも、そのムダにたよってメールなどでいかがわしいビジネスをしている業者も多いみたい。そんなわけで、メールのウイルス・テーブルなどもどんどん大きくなっていく。

また、貴重なインターネット上に一般の人には不要な情報がはびこる。つまり、有毒ガスを社会に撒き散らすのと同じ。やがて、撒いた自分自身もアウトになって滅びてしまう。

少しずつムダな情報の被害をこうむって、私はつくづく思う。時間のロス、そしてシステムのロスなど何とかならないものであろうか。顔の互いに見えにくい情報化社会でも、モラルが必要なのではないか。
本能のままに、いきおい意味のないこと!


旧約の『伝道の書』ではないが、人の一生にはムダとムリとムラの多いもののようだ。そこにはソロモンが人生を後悔したような形式で書かれているが、むろん誰が書いたものでもよろしい。何回読んでも、よく言い当てていると、私は思う。

例えば、最後のほうに「本を書いてもキリがない」というような警告がある。本ではないが、金を貯めても、名誉・賞賛を求めても、また趣味で何かを集めても、『伝道の書』の論理で言うと意味がない。だって、栄華を極めたソロモン王でさえそうだったからだ。

ホームページなども、同じことだろう。いくら大きくしても、訪問者があっても、仕方のないことである。もしかしたら、本能のままに意味のないことを繰り返しているのかもしれない。
オシッコを飲むか、飲まぬか悩み続ける。


「飲尿療法」というのがあるそうです。
つまり、オシッコの中にある成分を自分自身の身体にフィードバックすることによって、ホメオスタシスを改善して、本来の健康になるのです。しかし、そうは言ってもオシッコを飲むのには躊躇します。なぜならば、オシッコは一種の老廃物だからです。

ウンコと違ってオシッコは、腎臓で濾過された液体ですから、出たときはふつう無菌状態で清潔です。砂漠の地域では、日常的にラクダのオシッコで顔を洗ったりするそうです。また、遭難者が水がないためにオシッコを飲んで生き延びたというケースも、今までに多く報告されました。

本当は、酒やワイン、さらに糠味噌(ぬかみそ)など微生物のウンコ部分まで食べることを考えたら、自分自身のオシッコなどは何でもないことかもしれません。あくまで、習慣的なことだからです。
のろのろとしか、動けない老いたる身体(からだ)。


若いときは身体が軽く、いつも軽快、そして颯爽としていた。
しかし、還暦を過ぎてから次第に身が重くなった感じ。私は、むろん妊娠の経験などないが、何だか自分の中に何かが入っているみたい。

なぜならば、何となく身体が重く感じて、何かをするとすぐに疲れてしまう。疲れやすくなったばかりでなく、飽きやすくもなったみたい。おそらく、新陳代謝が悪くなったのだろう。もしかしたら、身体の中に老廃物が蓄積しているのかもしれない。

そこで、身体のクリーンアップをするための若返る方法を模索している。
ローマ法王の一人は、70歳の誕生日に若い信者数人が血液を差し上げた。しかし、輸血をして数時間後に法王は天国に召されてしまった。
と、いうような話を読んだことがある。
書き足していく楽しみも、プチさん(プティ散策)にあり。


計画をしても、いっぺんには回れない。途中で疲れてしまったり、空模様がおかしくなったり、そんなことがかなりある。もっとも、逆に調子がよくて考えたよりも多くの場所に行くことも、あることはあるが。

あまりムリをしないために途中でやめても、残したところは次の楽しみにするとよいだろう。若いころならともかく、老いてくるとムリをしないほうがよい。強行軍をすると、後で体調がおかしくなってしまうことが多いからだ。

そんなことで、レポートは行ったところだけでいったん終える。しかし、次回に行ったときに、そこに書き足していけばよいのである。そんなことにも、いわば文章を成長させるというような楽しみがある。それはあたかも、盆栽を育てるようなものであろう。


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