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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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久々に「黒田久太」とGoogle(グーグル)で引く。


個人的なことですが、私は「父に会いたい」ときには、Googleのウェブに「黒田久太」とインプットして、検索をしてみるのです。
すると、そこにはずっと前に死んだ父のデータや発言が、わずかですがいまだに残っています。

そして、それを読むと懐かしい気持がします。
むろん、そこの記事に問い合わせをしても、本人からの返事は絶対に戻ってきません。

それは、消息のわからない知人を捜すときに、しばしば私が利用する方法なのです。しかし、父の消息はわかっているから、同じ方法をするには理由があるのです。
つまり、そのようにすると、私の知らない父の生前のことが、わかる場合があって、父の再発見ができるからです。
そんなときには、とてもうれしくなります。

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ふと思うことも残して、記録に刻む。


ふと思うことがあります。
そのようなことは、忘れないようにメモをしておいて、改めてパソコンにインプットします。

さらに、整理をして記録として残しておきましょう。
自分自身の記録を刻むということは、「生きている証(あかし)」を残しておくということです。

そんな意味で、簡単な短詞形を用いると、記録に刻むことが手軽に実現できるでしょう。

金や物は残す必要がありませんが、記憶や記録は残しておきたいものです。死んでしまった場合も、自分自身のために、……
忘れないうちに、メモ取る習慣づける。


私は、使用済みのA4用紙を半分の半分に切ったものをさらに半分に折ってクリップで止めて、いつも持っています。

そして、それに小さい鉛筆が挟んであるので、いつでも覚えを残すことができるのです。

その覚えをもとにして、パソコンにインプットをする。
使用後のメモ用紙は、むろん捨ててしまう。

思いついたことは、後で考えると意外なほどにモチーフとなる可能性をもっているので、我ながら驚いてしまう。
風呂で、定理などを思いついたりすることもあるという。また、馬に乗っていたり、厠(かわや)でウンコをしているときなどに思いつくとも、昔から言う。
いずれにしても、そんな思いを大切にしたい。
恵美子さん、若くていつも感じいい人。


VITAの「風」にいる恵美子さんは、若々しくて感じがいい人だと皆が言います。そして私も、そう思います。

あまり、私は人のことをどうこう言うのが好きではありません。
しかし、私のところに来てくださる人とは、同じ建物の7階のフロアでお目にかかるのです。

そして、コーヒーなどを飲みながら、お話を伺います。
そのカフェテリア「風」の店員をボランティアでしている人の中に、恵美子さんがいます。

勤務に出てくるときは、颯爽としていて何となく有閑マダムの感じ。
そんなことを言う人もいるようですよ。
吉野家の豚丼(とんどん)味が軽くて飽きず。


私には、牛丼よりも豚丼のほうが、味がさっぱりしています。
また、肉の量も少ないので、何となく健康的と思うのです。

味付けが薄いということも、安心の理由です。
つまり、肉が新鮮であるということの証にもなるからです。

さらに、皿にも注意が必要です。
洗剤で洗って、十分にすすがないうちに、どんぶりを上向きに置く店があります。そして、その洗剤と食べ物をいっしょに盛りつけてしまいます。

そのようにすると、化学薬品を少しずつ体内に摂取することになるでしょう。私は、そのような店には二度と行かないことにしています。
そんなことも、厨房を見て考えなければなりません。
吉野家は、何となく大丈夫のようですよ。


大戸屋の生そば(きそば)・鶏カツ(とりかつ)、食べ甲斐がある。


生そばと鶏カツのセット定食です。
とても量が多く、食べ甲斐があって、私は腹一杯になって満足です。

かつて、玉木さんとご一緒したときに、玉木さんは全部を食べれなかったようです。生そばを半分くらい残しておられました。

トンカツやステーキなどは、どうも高脂血症や糖尿病になる恐れがあるので、私は鶏肉を食べるようにしています。

魚でもよいのですが、化学薬品を添加している恐れがあるので、注意をしなければなりません。
大戸屋の食材は、何となく安全なように思うのですが、……
日々のこと、忘れないうち、メモにしておく。


記憶は、ふつう時間の経過とともに薄らいでいきます。
いつまでも強烈な印象が残るようなことは、非常に少ないことです。

したがって、メモにしておくと後になっても記憶を辿る(たどる)ことが可能なのです。そんな意味にでも、五七七は有効でしょう。

脳に対するリフレッシュというのでしょうか、再書き込みのような操作が必要になるゆえんです。

その機能が五七七によって、ほぼ完全に果たされます。
いつも、メモ用紙を用意して書き込み、後でパソコンに向かって校正をしながらインプットするのです。

そのようにして、「生きている証明」が日々可能になります。

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