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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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なにもかも、するのがいやに、なってしまった。


でも、いまインプットをしてるじゃないか? と言われそう。
そうでない。

さっきまでの気分を思い出して、上の句を作った次第。
気分を取り直して、パソコンを始めたのだ。

こころの持ち方が、健康に大きな影響を与えるらしい。
だから、いつも前向きに明るく考えることがいいのではないか?
しかし、体調が悪いと気分まで滅入って(めいって)しまう。

昔から「病は気から」などというのも、ある程度の事実に基づいているのだろうか。
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急速に老けていくのか? 病(やまい)の後で。


身体はちょっと懈い(だるい)だけであるが、こころが問題である。
精神的に、かなりの傷害が起こったみたい。

何となく何事に対しても「やる気」がしない。
この五七七も、高守さんと千首の約束をした手前、せっせと書き込んでいる。生きているうちに何とかしたいという強迫観念からだろうか。

考えてみれば、そんなことはどうでもいいのかもしれない。
しかし、五七七は身体やこころに負担をかけないで、気楽にできる短詞形であるということが、つくづくとわかった。

嘘だと思ったら、やってご覧なさい。

退院をした直後から、衰え始む。


手術は成功したものの体内に悪性菌が常駐してしまったらしい。
どうしても、それがなくならないのである。

なくならなくても、身体に影響を与えない程度になってほしい。
しかし、次第に悪くなっていく。

やはり、病み上がりというのであろうか。
産後の肥立ちではないが、病後の肥立ちがまったく悪い。

何とかしないといけない。
そこで、

  rikの自然療法(含む漢方薬と薬用酒)

というのを始めてみた。

治療には、人間的な触れ合いがない。


都の総合病院で手術を受けるために、私は10日間ほど入院をした。
確かに設備もよいし、先生の技術も優れている。手術自体の成果は、素晴らしかった。

でも、退院してしばらくすると、院内感染にかかったことがわかった。
そして、その後はどうも体調が以前の状態には戻らない。

しかし、そのようなことを聞ける雰囲気の先生ではない。私が納得のできるような説明を何もしないのである。
つまり、何となく患者を単にマテリアルもしくはクランケとしてしか考えていないようだ。
もう少し、病人を人間的に扱ってほしいもんだ。
カルガモの親子が歩く、公園の昼。


パルテノン多摩の公園である。
池から上がって、カルガモの親子が歩いていた。小ガモが五匹、せわしげに親に続く。

微笑ましい(ほほえましい)光景ではあるが、何となく危なっかしい。水から出てくると、事故などにもあいやすい。

そう言えば、私はカルガモ米(かるがもまい)というのを食べている。
ちょっと価格が高いが、農薬を使っていないので、安全だという。
カルガモが水田にいる害虫などを食べてくれるらしい。

とてもおいしいお米である。
何となく気分すぐれず、鬱々(うつうつ)とする。


そんな日もあるでしょう。
高齢になると体調もよくないからです。
鬱々とは、「心が晴れない」という意味です。なぜ晴れないかというと、おそらく身体の調子がよくないからです。

そこで、気分転換などが必要になるでしょう。
精神的な問題でなければ、散歩などが効果的です。
病みてより、まだ病まぬ日の幸福を知る。


私は、日々生きていること自体が幸福だと考えています。
そして、「生きている証明」をするのです。

なぜならば、身体が生きていても考えることがなくなると、認知症やアルツハイマー病になってしまうからです。

そこで、その「生きている証明」にこの五七七という短詞形を用いるのです。とても簡単にできて、効果があるからです。
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