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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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初めての道行くときに、発見がある!


いつも通る道の一本裏手の小道を行ったりすると、新しい発見があって面白い。つまり、いわゆる裏側を見ることになるから。

また、意外にも「前にも、こんな景色があったなぁ~」などと思うこともある。もしかしたら、既視感(デジャビュ)かもしれない。

『徒然草』にも、そんなことが書いてあった。第七十一段の後半である。

あなたは、そんなことがありませんか?

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きょうまた、至福のときが、やってきた?


梅雨も、明けようとしているのか。きょうは、久々に晴れ模様。
そこで、10時のバスで唐木田福祉センターへ。そこから、多摩センターまで小田急線に沿って歩く。多摩センターでは、多摩テレビと多摩パルテノン歴史ミュージアムに寄る。

いずれも、有意義な時間を過ごせた。
楽しくなっちゃって、バスで聖蹟桜ヶ丘駅まで着くと、吉野家で鰻丼(うなどん)とビール、さらにミスタードーナッツへ行ってエンゼルクリームとハニーファッションの二つとホットカフェオレを二杯。

とてもいい気分で帰宅した。
食べ物に関して、意地汚くて、卑しいと言われても仕方ない。

おぞましき若き時代の恥の思い出。


「おぞましい」とは、「鈍い」とか「愚かな」という意味です。
若いときには、情熱はあったものの常識がありません。そこで、いろいろと恥ずかしいことをしたのです。

そんな思い出が、何かの拍子にふと蘇って(よみがえって)きて、自分自身を苛む(さいなむ)のです。

神経の太い人は、そんなことはないでしょう。
あなたは、いかがでしょうか。
簡単にあなたもできる、五七七です。


やってみると、驚くほどのやさしさがわかります。
そんなために、「生きているという証明」が五七七でも、簡単にできるのです。

つまり、文学というよりか、日々の日記、覚え、メモの類なのです。
そして、それはないよりもあるほうが、生活のあり方が異なってくるのではないでしょうか。

次々と作っていって、後で手直しをしたり、見るのもよいでしょう。
ふと思うことが次第に、習慣となる。


突然に思いついたことでも、正しいと思われることはやってみましょう。
すると、よいことであれば続けているうちに、習慣になります。

そのような習慣は、たとえ些細(ささい)なことであっても、大切にするべきでしょう。

いくら勢い込んでも、小さいことができないと、大きなことが成就しないからです。

原点に帰る必要、あるかも知れぬ。


何事もそうでしょうが、行きすぎると問題が生じます。
たまには、原点に帰って考える必要があるのではないでしょうか。

とくに、食べ物です。
私たちは、キケロが言うように

<食べるために生きているのではなく、生きるために食べている>

のですから。
身体(しんたい)に、異物であるか? 化学食品。


化学薬品が食べ物に含まれていると、ガンになりやすいと言います。
なぜならば、人類が今までの歴史上で食べたことがない物質だからです。そんなわけで、大量に食べることを避けたほうが無難でしょう。

私は、なるべく自然の状態で作られたものを食べています。
野菜なども農薬をほとんど使っていないもの。
米は、かるがも米。

水は塩素を除いて、ダイオキシンなどが身体に入らないようにしています。
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