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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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可能性、調べるために、いろいろとした。


かなり前のことではあるが、自分自身のもっている可能性を調べるために、いろいろなことにチャレンジしてみた。いずれも素人の域を出なかったものの、それでも自分なりに納得したのである。

まず文章、そして絵と音楽。文章はライトノベルとでもいうのであろうか、短編小説である。絵は、スケッチや写真の程度。そして音楽は、ピアノのやさしい小品を作曲してみた。

いずれも、できるものかどうかを調べるためにやったことで、プロになろうなどとしたわけでない。しかし、依頼があったら絵を100枚、小説を120本、そしてピアノ曲や交響曲を200曲くらいはできたと思う。残念ながら、いずれも反応はなく、むろん依頼などもなかった。でも、手元にそれらのモチーフが残っているので、これから少しずつ余生の楽しみとして、仕上げてみようと思う。
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叱られること少なくて、ダメになる人。


とくに若い人に言えること。最近は、叱られることが少なくなった。相互に人間関係の煩わしさを避けるためかもしれない。しかし、麦などが踏まれて丈夫に育つのと同様に、叱られることによって立派な人間になる。

叱らない親も多い。それは、それなりの理由もあろう。むしろ、誉めて育てることを選んだようである。しかし、それではしっかりした人格が育(はぐく)まれないのではないか。善悪の基準がわからなかったり、身勝手な子供に育(そだ)ってしまう。

なぜ、そんなことになってしまったのであろう。大戦後、何もかも失った日本人は、自分たちの自信まで喪失した。子供の育て方なども然(しか)り。さらに、GHQの指導を履き違えたり、考えのしっかりした世代が巣鴨に入ったりしたために、まだ常識のないクラスが教育の現場に配置されたことなども、その原因ではないだろうか。そんなことを考えると、ぼつぼつ軌道修正が必要な時代になったようだ。
完全に失敗をした健康クラブ。


市の文化団体として、数年前に健康クラブを発足した。そして、市報の紙上でメンバーの募集をしたのである。しかし、結果的には大失敗。

今でこそ私は、「糖尿病・高血圧症の完治方法」を見出したが、当時は自分自身が糖尿病で高血圧症であった。その後、アトピーの治し方も発見した。そして現在は、ガンについての実験をしている。つまり、ガンにならない方法である。おそらく解決するであろうが、その後はヒマンの問題が待っている。

しかし、健康クラブが始まったころに集まった人たちは、すでにかなりの病人だった。そんな人が予防を中心とするクラブに入っても、ダメ。やはり、病院で本格的な治療を受けなければならない。病気はなってから治すより、ならないように注意するほうが、簡単で問題も少ないからである。
あきらめて独自の道を進んでいこう。


これまで「健康」と「老化予防」と「安心立命」について、自分なりの勉強をしてきた。そして、いろいろなことでわかったことがある。しかし、それは自分だけのことかもしれない。それぞれ個人差があって、異なっているから。

そんなわけで、多くの人の意見を聞きたかった。そのためにグループを作ったのではあるが、意見を言ってくれる人はあまり多くない。つまり、「健康」や「老化予防」に関する試みの評価ができないのである。

まして、「安心立命」などについては、それこそ千差万別な考えがあるだろう。まったく、独りよがりの結論かもしれない。仕方ないので、独自の道でも一人で進んでいこう。なぜかここで西行の「さびしさに たへたる人の またもあれな 庵(いおり)並べむ冬の山里(新古今和歌集 巻六冬歌)」を思い出した。

パソコンの中は、一つの知的空間。


私のパソコンには、1TB(テラバイト)のハードディスクが付いている。ホームページ一つが1GB(ギガバイト)であるから、かなり大きなメモリ空間である。

現在は、容量の都合でホームページを四つに分散している。多摩テレビが11MB、ヤフー1GB、fc21GB、そしてジャスト100MB。合計2GBと111MB。それらは、互いにリンクすることによって、あたかも一つのメモリ空間を実現している。

しかし、やってみると画像などは互いにアドレッシングできない。したがって、全体を一つと考えると使い勝手があまりよくない。そんなために、一つの知的空間と考えるためには、あらかじめ配置に関する設計が必要になる。それでも、全体のホームページは1TBのハードディスクに入ってしまう。そして、その中で移動をしたり、編集ができる私の一つの知的空間となるんだ。なかなか素晴らしいことではないか。
それなりに構築したい、知的空間。


自分自身の考え方のことである。いろいろと不勉強で未熟な箇所があるが、それでも一つの知的空間として考えることができた。「健康」と「老化予防」、そして「安心立命」の世界である。

生きている限りは「健康」が望ましい。そんなことはわかっているが、実現するためには細心の注意が必要だ。そして、なるべく「老化予防」を心がけ、老(ふ)けないようにしたい。とくに、アルツハイマー病やよいよいなどの寝たきりにはなりたくない。また、おしめ(襁褓)やおむつ(御襁)の生活もしたくない。

「安心立命」に関しては、自分の肉体が死んだ後まで考えないと、いけないのではないか。それは、自分がおかれた宇宙空間の次元に関する考え方から、時間という概念の解決までを含んでいるので、一種の哲学とでもいうか、あるいは自己宗教のようなものであろう。なかなか、難しい問題である。
他人事(ひとごと)じゃないボケ始め、ちょっと心配。


今までは、そんなことを考えたことさえなかった。しかし、親しい知人の言動を見ていると、自分自身の自信がなくなって心配である。つまり、そろそろ私も始まったのではないかという不安感。

なぜならば、ここのところ記憶力が鈍ってきたみたい。なかなか思い出せなかったり、時間の前後を勘違いする。やがて、アルツハイマー病になったり、さらによいよいや寝たきりになっちゃう恐れが、ひしひしと襲ってくる。

いったい、どうしたらよいのだろうか。身体の老化は、むろん脳にも生じるのであろう。その脳の機能が失われていくことが、問題である。それも、大幅にダメージを受けると今までの記憶が失われてしまう。そんなことを考えると、自分のボケ始めが心配になってくる。何とかして、脳の機能は失いたくない。
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