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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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目に見える光のほかに不可視光線。


ヒトが感じる光は、太陽光線のごく一部分である。それを可視光線といって、波長が700ナノメートルから380ナノメートルの範囲。電界と磁界との変化が互いに作用して、波となって伝わるものを電磁波といい、電波・光・X線などがある。

つまり、電磁波は波長の長いほうから
(1) 電波
(2) 赤外線
(3) 可視光線(赤・橙・黄・緑・青・藍・紫)
(4) 紫外線
(5) X線
となっている。
そして、上記の(1)と(5)以外、つまり赤外線・可視光線・紫外線を光という。
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聞きとれる音の範囲は限られている。


ヒトの聴覚は、ある範囲の周波数だけを聞きとることができる。音波情報は外耳で集められて、中耳の鼓膜を振動させる。その振動は、耳小骨という三個の小さな骨を伝わって、蝸牛穀に送られる。そこで、振動は神経刺激に変わり、神経繊維を通って大脳に送られ、音として感じる。

そのような精巧な耳ではあるが、周波数20ヘルツから20キロヘルツくらいの範囲しか聞けない。人間以外の動物、例えばコウモリは、さらに高い周波数の音を発信して、それを聞いたりしているらしい。洞窟の暗い中でも、互いに高い音による情報交換ができるので、ぶつからずに飛べる。

それはともかく、ヒトが互いの情報交換に聴覚を用いることは素晴らしいことだ。なぜならば、話し言葉は書き言葉に比べると、約10倍の情報量を伝達できるからである。
マロニエの花、満開で小雨がしぶく。


聖蹟桜ヶ丘駅前の川崎街道。小降りではあるが、雨まじりの風が吹きつける中に、ひときわ桃色の花が目立つ。つい二ヶ月ほど前は、葉もなく枝がつくつくしていたが、今では鮮やかな新緑の中に、ピンクの花が満開。まったく、季節の移り変わりの速いのに驚く。

マロニエは、フランス語の「marronnier」。トチノキ科の落葉樹。ここのマロニエの和名は、ベニバナトキノキという。樹皮は灰褐色、葉は大きくて、数枚の倒卵形の小葉で、手のひら状の複葉。バルカン半島の原産で、街路樹などにする。

雨にぬれたマロニエは、葉も花も何とも鮮やかだ。葉の中に赤みがかった白色の花が円錐状についている姿を見るのが、毎年の楽しみである。
人体の四分の三、水分という。


私たちの体重の四分の三、つまり75パーセントが水分という。水分は身体の維持に必要であるが、一日に1リットルほどの汗をかく。当然のことながら、その分を補充しなければならない。

人間も原始の時代には、海水の中にいたらしい。したがって、陸上に出ても体内に水分を保持している必要があるのだろう。細胞や血液などには、水分が必要なことは明白。

さらに、神経なども水分を必要とするらしい。痛みを脳に伝えるのは神経であるが、体内に含まれる水分の量によって痛みの感じ方が異なるようだ。性格などによっても異なるが、場合によっては痛みを感じないこともある。水分を補充摂取するときは、良質の天然水が望ましい。
表現は、短いほうが好ましくあり。


「お仙鳴かすな、馬肥やせ」ではないが、タイトルや本文も短いほうがよいのかもしれない。あれもこれも、ことごとく述べようとすると長くなってしまう。いきおい、焦点もぼける。

短くても内容がわかるようにするためには、どうすればよいのだろうか。あらゆる言葉に熟知している必要があるのだろうか。また、暗喩などを知っている必要があるのだろうか。

「桜散る」というメッセージを「試験に落ちた」という意味に用いるのは、暗号としてはどうだろうか。戦争末期の「お父さん」とか「花子さん」とか言われた人は誰だったのでしょうか。ルーズベルトは、おそらく笑っていたことでしょう。
人間の身体(からだ)の不思議、尿療法で知る。


尿は、不思議な液体である。便とは異なって、老廃物であっても清潔・無菌。だから、飲んでも問題はない。それどころか、尿を舐(な)めることによって、健康を維持できるという。

誰もが赤ちゃんの時代、母親の胎内では羊水の中にいる。その羊水には、赤ちゃんから出た尿が混じる。つまり、自分の尿の中にいて、その尿を飲んでいるのである。

尿の中の成分には、身体の中の信号が含まれているという。その情報を喉(のど)の奥にある器官で検出し、フィードバックをしてホメオスタシスを保っているらしい。つまり、負帰還をすることによって、スタビライザのような平衡が保たれるのではないか。オシッコ自体の成分が栄養や効果を与えるのではなく、その情報が健康に役立つのである。
一遍は、いばりのことを何故に知る?


一遍上人は、「オシッコを飲むと健康になる」「尿で病気が治る」などということをどうして知ったのであろうか。高僧の直観力であったかもしれない。

しかし、私は次のようにも考える。
逗留をした寺の蔵書や経を読んでいたときに、たまたま『傷寒論』があったのではないか。『傷寒論』(しょうかんろん)は中国の有名な医学書。漢方医学の原典とされる書である。後漢(25~220)の長沙(ちょうさ)の太守、張仲景によって著された。そこには、尿に関する医学的記述があるという。

この『傷寒論』は、久しく医学のバイブル的存在で、「宮廷女官チャングムの誓い」などでも、それを調べる場面があった。さらに、政木和三博士は尿を飲むことに関して近代的・科学的な見解を講演会で述べておられる。
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