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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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プチさん(プティ散策)は、駅周辺の知的探検。


「知的探検」などと言ったら、ちょっと大げさだろうか?
人間は誰でも、またいくつになっても好奇心があるものらしい。もしも、そのような気持ちがなくなってしまうと、急速に衰えて老いる。そして、その結果として死期を早めるだろう。

そんなわけだから、元気なうちは「小さな知的探検」をするのがよい。
いつも通る道の一本裏を歩いても、見知らぬものがあるかもしれない。そして、それが再発見や知的発見の発端になるのである。

私たちが見る対象のものは、何でもよい。
実際にあるものをあれこれと考えたり、詮索をするのもよいでしょう。他人に迷惑がかからない範囲で、デジカメに撮ったりするのも記録を後で整理するための「知的探検」の方法でもある。

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プチさん(プティ散策)は、老いたる日々のささいな励み。


老いてくると、生活に変化がなくなってくる。そして、そのような状態が続くとボケが始まる。そうかと言って、緊張の連続ではアウトになってしまうだろう。

そんなわけで、身近な散歩などがよい。
しかし、同じコースの散歩ではどうしても飽きてしまう。心のフレッシュを保つために、ある程度の新しい刺激も必要。

そこで、駅周辺のプチさん(プティ散策)を始めた。
費用もかからないし、あまり危険ではない。今までに気付かなかった発見や新しい感覚の再発見もある。そんな小さいことが、きっと歓びにもつながろう。
つまり、ささいな楽しみを求める日々の励みと言ってよい。


「下らん!」と言えばそれまで、プチさん(プティ散策)記録。


何事もそうであろうが、「下らん!」と言ってしまえば、それまでである。「下る」か「下らん」かは、それぞれの価値観であろう。したがって、他人がそのことをとやかく言うべきものではないらしい。

正直なところ、私は自分自身でも「下らん」とまでは言わないものの「この作業は、あまり意味のあることではないぞ!」などと、つい思ってしまうことがある。つまり、なぜこんなことをしているのかに対して、本人がちょっと自信をなくしてしまうんだ。

しかし、あまり深く考える必要もないだろう。
なぜ、呼吸をするか。なぜ、食事をするか。なぜ、眠るのか。それは生きていくうえに必要だからである。プチさん(プティ散策)も生きていくうえに必要だと単純に思えばよいのである。
人生は悔いの連続、恥のかき捨て!


まったく、いやになってしまう。
もっとも、これは自分だけのことかもしれない。とんとん拍子に成功をして、堂々と生きている人も多いからである。

私の場合、今までは悔いの連続と言ってよいだろう。何をしてもダメ、ずいぶんと努力をしたのだが、うまくいかなかった。そんなわけで、後悔先に立たずと言ったような按配。

いきおい、恥ずかしい一連の行状記である。
どうも、ぐちったところで始まらないのであるが、やはり力量と配慮が不足していたのだろう。
とまぁ、そんなことが遅まきながら古希を迎えるに当たって、とうとうわかった次第。
雨の日は、不要な物の整理などする。


雨が降ると、散歩に出かけられない。それでも傘なしでデパートに行けるので、買い物があったりすると出かける。しかし、ここのところ買い物もなくなってしまった。食材は、すべて安全素材を宅配で取っているからである。

そこで、雨の日には不要な物の整理をし始めた。万一、自分が倒れたり、死んだりした場合に備えてである。

知り合いが亡くなって、しばらくしてから「資料をいただきたい」と申し出たら、ご子息が「業者にたのんですべて廃棄処分した」から何もないと言われた。
また、別な人は仕事で留守をしている間に、大事にしている品物を娘さんが大量にゴミとして出してしまったという。つまり子にとっては、あまり大切なものではなかったのであろう。

考えてみれば、ほんとうに必要なものは少ないのかもしれない。
恥を知れ! みっともなくも続けるプログ。


先輩が、かつてしてくれたアドバイス。
「お前は、みっともないプログを毎日なぜ続けるのか? ぼつぼつ恥ずかしいと考えて、やめたらどうか?」

「恥を知れ!」とは、まったくその通りだと思う。すでに、1000回を越えたところだ。しかし、そんなことを言ってしまえば、私自身をやめなければならない。つまり、極端に言うと死んでしまったほうがよいかも。

自分自身がお粗末な人間であるから、当然のことながらプログやホームページの内容も大したもんではない。つまり、当然ながら作ったものも中途半端でいいかげん。
そこで、開き直るのである。つまり、「私は、みっともなくてもいい。恥ずかしいとも思う。しかし、自分自身が『生きている照明』をしてるんだ!」。
チュパカブラ、いるかいないか私は知らぬ。


地球に住んでいる私たちは、ようやく月や他の惑星にも行けるようになった。そして、それは次々と広がる。しかし、銀河系をすべて行っても、まだ数限りない銀河があるという。まったく、広大な宇宙に驚く。

しかし、ウイルスを考えてみれば、それは空間に対する捉(とら)え方の問題だということが何となくわかる。ウイルスにとって、私たちの身体は大きい。一人の人間は銀河系くらいだろうか。そして別な人に感染すれば、他の銀河系に行ったようなもの。銀河系は、世界の人口ほどある。

何がいいたいかと言うと、チュパカブラかチュパカプラか忘れたが、そのようなものがいても不思議はないのである。つまり、ウイルスにとって宇宙のすべてが見渡せないのと同じことであろう。地球外生物か、はたまた国家が作った秘密兵器なのか、今後の調査である程度はわかるであろうが、……
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