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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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愚かなる人間(ひと)のすること、空しかりける。


この意味は、非常に大きなことなんです。

毎年、八月になると先の大戦関係の報道が、多く特集として行われます。
しかし、見ていていたたまれなくなってしまうのは、私だけでしょうか。

なぜそのような感情が起こるかというと、それは人間(ひと)のもつ基本的な愚かさに気づくからです。少なくとも、私の場合は。

「しなくてもよいこと」を「しなくてないけない」などと考えるような愚かしい教育を自らの(みずからの)子孫に施すという誤謬(ごびゅう)を繰り返してきた私たちの社会の歪み(ひずみ)に原因はあるのです。

かつて、スパルタは国の方針として子どもたちに「泥棒をすること」を奨励したそうです。そして、強国が築き上げられました。


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一つずつ治していこう、私の病状。


昨年の入院・手術前後に、カテーテルから感染をしてしまった私の病状。
まったく、困った症状である。

rikの「院内感染の話」

数えてみると、我ながら驚くほどである。
しかし、ここのところ、ちょっとばかり調子がよい。

一つずつ、何とか元通りに治していきたい。
ヒトの身体には、元来ホメオスタシスが有効であるのだから。
まず、体力のリカバリーからと考える。

そんなわけで、なるべく疲労をしないようにしている。
身体とともに、頭の中も。
感謝などされる必要、私にはない。


めったにないことではあるが、たまに

「あなたのホームページで、いろいろなことを学びました。
感謝をしています。」

というようなメールをいただくことがある。
どういう人なのか私にはよくわからないが、それでもいちおうお礼の返信メールを出す。

しかし、私は正直のところ、自分のために自分の費用でやっていることで、感謝をされるような立場ではないんだ。

インターネットに接続をしてあるから、誰もが見れるのではあるが、私はスイスイと閲覧できるので、自分自身でも自分自身のために活用しているわけである。
失礼な人とは、初めから付き合うな!


礼儀を知らない人とは、最初から付き合わないほうがよいでしょう。
そんな人とお付き合いをしても、互いによいことはないからです。

失礼な人は、それなりに「自分がそれでよい」と考えています。
そこで、その人から見ると、こちらが逆に失礼だと思ったりもするでしょう。

つまり、価値判断の異なる世界に、お互いがいるということです。
そのようなことは、政治や宗教の分野でもあります。

思想や信条は、互いに理解をしあえるものでなければ、争いが生じるのが古くからの習わしのようです。
いかがなものでしょうか。
何となくうとましくあり、日々の生活。


二年前までには、そんなことを感じたことはありません。
昨年の夏に、入院・手術をしてから、何となく体調が崩れてきたみたい。

気力がなくなって、疲れ気味である。
数ヶ月もカテーテルを用いたので、エイズや肝炎などのように、おそらく血液の中に異物が入ってしまったのであろう。

まだ異物についての特定はできないが、もしかしたら「歯周菌」や「クリプトコッカス」などではないか。思い当たるふしが、かなりあるからだ。
あるいは、院内感染をした思いもよらない異物かもしれない。

とにかく、早く何とかしなければならない。
疎(うと)ましいというのは、いやで避けたい気持であるが、私の場合は何となく疲れ気味で、物事をするのが億劫になっちゃうんだ。
物事に熱中すると、生き甲斐がある。


何かに熱中をすると、時間の過ぎるのを忘れてしまいます。
そして、充実をした時を過ごせるのです。

その対象は、人によって異なるでしょう。
趣味や蒐集に、生き甲斐を感じる人も多いことです。

しかし、一方では金を貯めることに全力をつくしたり、名誉や有名になることを求めて汲々(きゅうきゅう)としている人もいるでしょう。

そして、何のために何をしているかが、解らなくなってしまいます。
大げさに生き甲斐などというよりも、ただ快適な日々が過ごせればよいと、私は考えています。

それぞれに、人生の目的をどこに設定するかの問題になるでしょう。
あなたは、いかがでしょうか?




ほどほどにすれば、気楽な日々になるかも?


前にも、

ほどほどにすれば、……

とやったことを覚えている。
しかし、似た新句があってもかまわない。
さらに、まったく同じ作品があってもよいのである。

そんな気楽さが、この新句のよいところ。
また、連句の発句だけで述べるような難しさはなく、むしろ結句を言っているから簡単。

つまり、あまり難しい技法はいらない。
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