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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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五七七、「知的空間」、その中にいる。


まさしく、その通り。
説明するまでもないでしょう。

なお、五七七は

http://rikinf.web.infoseek.co.jp/nyu_577.html

「知的空間」は、

http://www1.ttv.ne.jp/~riko/chiteki_kuukan.html

http://www1.ttv.ne.jp/~riko/chiteki_kuukan_ougi.html

の通りです。
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「生きている証明」として、五七七する。


この五七七は、まったく新しい短詞形です。
俳句は、幽玄ではあるが、ちょっと舌足らず。そして、短歌は上の句(五七五)に対して、下の句(七七)が冗長の嫌いがあるようです。

もっとも、万葉の時代に考えられたものですから、忙しい(せわしい)現代において、そのままの形を用いるのは時代遅れなのかもしれません。
とくに、若い世代には。

そこで、俳句と短歌の中間、五七七なんです。

なお、五七七については、下記を参考にしてください。

http://rikinf.web.infoseek.co.jp/nyu_577.html
それぞれに構築しよう、「知的空間」。


この五七七で作られる場を、「知的空間」と言います。
それは、大げさにいうと一つの次元なのです。
そして、個別というか各自の固有な場所なのです。

なお、「知的空間」については、

http://www1.ttv.ne.jp/~riko/chiteki_kuukan.html

さらに、「その奥義」については、

http://www1.ttv.ne.jp/~riko/chiteki_kuukan_ougi.html

を参照してください。
よろしく。

いつの日か記憶薄らぎ、朧気(おぼろげ)になる。


ここのところ、何となく度忘れや記憶違いがあるんです。
もしかしたら、認知症が始まっているのかもしれません。さらに、アルツハイマー病がかっているのかも?

それはともかく、記憶が薄らいでいくようです。
コンピュータのメモリーなども、記憶が薄らぐといいます。そのために、リフレッシュというか、内容の再書き込みをするようです。

現在のものは知りませんが、私がコンピュータを学んだ今から半世紀(50年)ほど昔は、そのようなことを言いました。

何かの拍子に、ペロンと消えてしまうようなことがあるのでしょうか。


いつまでも思い出残る、公園の池。


多摩ニュータウンの中には多くの公園があって、池があるところもあります。そして、その池が曲がりなりにも昔あった地形を利用して、そのまま残されたところもあるのです。

例えば、長池公園の三つの池です。
そして、まだニュータウンが開発される前に私は、その池に何回か行きました。魚を釣っている人たちがいました。
私は魚釣りをしませんが、見ているのが好きだったからです。

むろん、池の回りの地形は、大きく変化をしています。
しかし、池自体は護岸を除いて、ほとんど昔のままです。
そんなために、思い出が未だに残っているので、行く度にとても楽しい場所になりました。

いつか来たなつかしい場所、木漏れ日(こもれび)の道。


まったく同じ場所ではないのですが、それでも「はっ」とするような懐かしい(なつかしい)場所があります。

鎌倉の佐助や、かつての大仏切り通しほどには大きくありませんが、多摩にも切り通しがたくさんありました。そして、そのほとんどは多摩ニュータウンが開発されて、なくなってしまいました。

でも、町田市との境をちょっと超えると、今でも残っているところがあります。そして、そんなところを通ると、何とも懐かしい記憶が蘇って(よみがえって)くるのです。

そんなご経験が、あなたにもありませんか?
いつ来ても楽しいところ、多摩ミュージアム。


多摩市の郷土博物館が、いつの間にか「パルテノン多摩 歴史ミュージアム」という名前に変わっていました。

しかし、展示されている内容については名前が激変したほどに、変わっていません。

私は、多摩ニュータウンができる前に、よく多摩の山林を歩いたものです。「山林に自由存す」とは思いませんでしたが、とにかくパストラーレの気分に浸った(ひたった)ものです。

そのころの面影が、ここへくると偲(しの)ばれます。
貴重な映像や資料が、多く残っているからです。
皆さんも、行かれては?
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