rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ハメマラは、なかなか治りにくい症状。
男の場合であって、歯と目とオチンチン。加齢によってダメになりやすい部分である。歯は、歯周病で抜けて入れ歯になることが多い。目も悪くなって、たいがい眼鏡をかける。そして、前立腺が肥大してきて、オシッコが出にくくなる。実は、私もそうであって、歯間にたまる歯石を定期的に除去してもらう。目は、すでに眼鏡を何回か作り直し、何とか細かい字が読める。前立腺は、数年前に詰(つ)まってしまい、救急車で病院に運ばれて手術してもらった。
男の場合であって、歯と目とオチンチン。加齢によってダメになりやすい部分である。歯は、歯周病で抜けて入れ歯になることが多い。目も悪くなって、たいがい眼鏡をかける。そして、前立腺が肥大してきて、オシッコが出にくくなる。実は、私もそうであって、歯間にたまる歯石を定期的に除去してもらう。目は、すでに眼鏡を何回か作り直し、何とか細かい字が読める。前立腺は、数年前に詰(つ)まってしまい、救急車で病院に運ばれて手術してもらった。
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手の指にササクレができ、ちょっと気になる。
ここのところ数年、冬になると手の指にササクレができる。そこで、前に聞いたことがちょっと気になる。それは、ササクレができるのは親不孝のしるしと言うこと。何となく、もっともらしく思う。考えてみれば私の一生は親不孝の連続だった。父も母もすでに亡いが、思えば懐かしい。妻の父母もなく、いわゆる親はすでに誰もいない。いま生きていれば、孝行もできるものだと残念である。『方丈記』に、父母のことを思い出すくだりがあった。
ここのところ数年、冬になると手の指にササクレができる。そこで、前に聞いたことがちょっと気になる。それは、ササクレができるのは親不孝のしるしと言うこと。何となく、もっともらしく思う。考えてみれば私の一生は親不孝の連続だった。父も母もすでに亡いが、思えば懐かしい。妻の父母もなく、いわゆる親はすでに誰もいない。いま生きていれば、孝行もできるものだと残念である。『方丈記』に、父母のことを思い出すくだりがあった。
何のため、何をしてるか、考えてみる。
ときには、自分が何のために何をしているのかを冷静に考えてみる必要がある。ともすると、目的と手段が逆になっている場合もある。日々の生活には、健康は大切である。しかし、健康を実現するために生きているのではなく、生きていくために健康が必要なのである。もっと簡単に言うと、食うために生きているのではなく、生きるために食うのである。そんな本末転倒なことが、世の中には多くあるのではないだろうか。
ときには、自分が何のために何をしているのかを冷静に考えてみる必要がある。ともすると、目的と手段が逆になっている場合もある。日々の生活には、健康は大切である。しかし、健康を実現するために生きているのではなく、生きていくために健康が必要なのである。もっと簡単に言うと、食うために生きているのではなく、生きるために食うのである。そんな本末転倒なことが、世の中には多くあるのではないだろうか。
この月も、今日でとうとう終わりになった。
新しい年になり、私にも一ヶ月が過ぎた。まず、平穏無事と言ってよかろう。世の中には、いろいろと変わった事件があった。しかし、年金生活者の私にとっては、あまり関係がないようである。もしかしたら、単に私の認識が甘いだけなのかもしれない。個人的には末期症状になってしまった糖尿病と、院内感染でやられてしまった内臓を何とかして治したいとも考えている。そんな意味で、希望の年なのである。
新しい年になり、私にも一ヶ月が過ぎた。まず、平穏無事と言ってよかろう。世の中には、いろいろと変わった事件があった。しかし、年金生活者の私にとっては、あまり関係がないようである。もしかしたら、単に私の認識が甘いだけなのかもしれない。個人的には末期症状になってしまった糖尿病と、院内感染でやられてしまった内臓を何とかして治したいとも考えている。そんな意味で、希望の年なのである。
生きている意味、あまりなく、ただなるがまま。
何となく最近になって、日々の生活が惰性のようになってしまった。義姉の死によって、根本的に人生観が異なってきたためであろう。それほど、義姉の死は私にとって大きなショックであった。敬虔なクリスチャンであったものの、そうかと言って信仰の奥義などは、まったくもっていなかった。そんなわけで、いったい信仰とは何かと言ったような基本的な疑問さえ、,私には湧いてきたのである。
何となく最近になって、日々の生活が惰性のようになってしまった。義姉の死によって、根本的に人生観が異なってきたためであろう。それほど、義姉の死は私にとって大きなショックであった。敬虔なクリスチャンであったものの、そうかと言って信仰の奥義などは、まったくもっていなかった。そんなわけで、いったい信仰とは何かと言ったような基本的な疑問さえ、,私には湧いてきたのである。
大食いの癖、治らずにはしごしばしば。
この歳になっても、なかなか大食いの癖が治らない。とくに外食のときは、腹がいっぱいにならず、一軒では物足りないことがある。例えば、吉野家で牛丼を食う。それでは、何となく腹がふくらまない。そこでミズドにはしごして、オールドファッション1個とブレンドコーヒー2杯。いちばん砂糖が少ないと思うドーナットとお代わり自由のコーヒーである。それで、ようやく満足をすることが多い。困ったことである。
この歳になっても、なかなか大食いの癖が治らない。とくに外食のときは、腹がいっぱいにならず、一軒では物足りないことがある。例えば、吉野家で牛丼を食う。それでは、何となく腹がふくらまない。そこでミズドにはしごして、オールドファッション1個とブレンドコーヒー2杯。いちばん砂糖が少ないと思うドーナットとお代わり自由のコーヒーである。それで、ようやく満足をすることが多い。困ったことである。
そのグルメ、ちょっとだけ待て、考えてから。
外食をするときは、何でもおいしく見える。そこで、その店に入って注文をするんだが、ちょっと待ってその食事が健康に好ましいかどうかを考える時間を作る。グルタミン酸ナトリウムなどの化学薬品が多く含まれている食事は、後で問題が生じる。ただ美味(おい)しくするために入れてある成分には、身体の健康に好ましくないものがあるからである。
外食をするときは、何でもおいしく見える。そこで、その店に入って注文をするんだが、ちょっと待ってその食事が健康に好ましいかどうかを考える時間を作る。グルタミン酸ナトリウムなどの化学薬品が多く含まれている食事は、後で問題が生じる。ただ美味(おい)しくするために入れてある成分には、身体の健康に好ましくないものがあるからである。