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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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デパートのロビーに居るも、待つとはなしに。


デパートのロビーに赤い椅子がある。私は、ときどき座って休む。誰を待っているわけでもない。涼しくて、コンフォタブルだからである。

しかし、よく見ると私以外にも、そんな感じの人が他にもいる。おそらく、年金生活者であろう。もしかしたら、他にすることがないのかもしれない。

私は、そこから五分で自分の部屋に帰れる。しかし、夏は冷房がしてあって、空気もすがすがしいので、つい休んでしまう。また、午後は三時ごろまで休むこともある。それは、郵便の配達が日一回で、三時だからである。
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エビアン(evian)は生水であり、リスクも若干。


エビアンというナチュラル・ミネラル・ウオーターがある。原産国はフランスで、原材料名は「水(鉱泉水)」となっている。

殺菌や除菌をしていないので、カビが生えることもある。そんなことが、今までに問題になったようだ。そんな飲料水であるが、何となくおいしい。

日本のペットボトルは、たいがい加熱殺菌をしてある。アルプスの水などと言っても、実際の水とは異なってしまう。私は、ときどき駅の売店でエビアンを買う。カルシウムやマグネシウムを若干含んでいるが、おそらく消化できないであろう。むしろ、多くを摂ると結石などの原因になるかもしれない。
何となく政治と宗教、近づきがたし。


いろいろな団体があるが、私は政治と宗教が苦手である。政治に関する意見や宗教に対する考え方もあるが、それは個人的なことである。

おそらく、誰もが自分自身の意見をもっているだろう。しかし、互いに言い合えば意見の食い違いが明確に出てくる。そして、それが果てしなく続き、意味のないことである。

したがって、私は政治と宗教に対して、あまり意見を言わない。言ってもキリのないことであるから。その代わり、政治はともかく、宗教に対しては自分自身の考え方や基準を作っておく。つまり、一人だけの信仰である。
「生きている証明」をする、この作品で。


「生きている証明」というと大げさであるが、「日々の記録」を残していきたい。あまり重要でないことも、新句(十九音)の形式で簡単に残しておける。

私は、毎日一首ずつ、ここに記録をすることを日課としている。そのようにして、すでに2000以上になった。

元気でパソコンに向かえるときは、必ずアップする。手術のために、十日間ほど入院したときを除いて、休んだことがない。他人から見て、意味のないことであっても、自分自身の記録としては、何らかの意味があろう。そんな程度のことではあるが、……
何故に襲い来たるか、不快と不安。


何で、突然に不快感や不安感が起こるのだろうか。もしかしたら、体調がよくないためかもしれない。おそらく、脳に何らかの異常をきたして、不快や不安になるのだろう。

ふつうは何も感じない状態で、むしろ快さに浸(ひた)っている。しかし、疲れてきたり問題をかかえたりすると、脳が混迷してしまう。その結果、一連の不快や不安に取り付かれる。

脳という器官は、とてもデリケートらしい。終始考えていて、他愛のないことでも問題にしたり、逆に重大なことを見逃してしまったりするらしい。
朝、ビール大瓶一本、水分の補給。


たいがいの日は、朝五時に目が覚める。そして、この「日々記憶の断片」を投稿。そのとき、軽いものを食べる。さらに、水分の補給としてビール大瓶一本を飲む。

水は多く飲めないので、ビールで済ます。ゆっくりと、つまみを取りながら633mlを空ける。「一升瓶健康法」などというのがあって、約1.8リットルの水を飲むらしい。しかし、とても私には朝一升の水は飲めない。

水よりも、ビールのほうがうまいと感じるのは事実。肝臓に対する影響もあるので、ゆっくりと飲む。また、肝臓がビールの解毒をするので、音楽を聞きながらリラックスに飲む。私にとって、楽しい633mlの時間である。

食って寝て、少しばかりの勉強をする。


私の今までの人生は、考えてみれば食ったり、寝たりすることがほとんどであった。そして、その間に少しばかりの勉強をした。勉強の合間に、食ったり寝たのではない。お恥ずかしい限りである。

むろん、身体の維持のための健康を考える。そして、生活習慣や水・食べ物の問題を一つずつ解決してきた。

したがって、食うことや寝ることが勉強のために、どうしても必要なのである。つまり、目的と手段が渾然一体となっている日々が、正直のところ私の今までの人生であった。
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