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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ゆらゆらと揺れる心地は脳震盪か?


ときどき、身体が揺れるような気がする。横になっているときも、そうである。もしかしたら脳震盪(脳振盪 のうしんとう)かもしれない。

しかし、脳震盪は頭部を打撲した直後に起こる一時的な意識障害のこと。数分で回復し、あとに異常を残すことはないという。頭を打ったわけではないのに、その結果の状態になっている。脳自体の一種の病気かもしれない。

脳は、ずいぶんと使っている器官である。だから、誤動作や誤判断が生じるようになってしまったのだろう。今後は、大切にしていきたい。
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諦めは大切であり、脳のためにも。


ある程度のところで、諦めることも大切らしい。いつまでも、限りなく欲求に追われていくと、身を滅ぼしてしまうことがある。

かつてのモンゴル国やヒトラーの場合が、そうであるらしい。実際にはわからないが、おそらく欲求が際限なく大きすぎたためかもしれない。

私は、むしろ『方丈記』にある「程(ほど)狹しといへども、夜 臥(ふ)す床(ゆか)あり、晝(ひる)居(い)る座あり。一身をやどすに、不足なし。寄居虫(がうな)は、小さき貝をこのむ。これ身知るによりてなり。みさごは、荒磯に居る。すなはち、人を恐るゝが故なり。我またかくの如し。身を知り、世を知れれば、願はず、わしらず。たゞ靜かなるを望みとし、愁へなきを樂しみとす。」の程度である。
「脳操」という概念を模索しており。


イグナチオ=デ=ロヨラに、『霊操』というのがある。それは、彼によって始まったイエズス会の霊性の修業。「体操」が身体を鍛えるように、「霊操」は霊魂を鍛えることを目的。神と深い人格的交わりを持ち、神の意志を知ろうとする。

それ以前にも、祈りや読書などでは方法が整備されていなかった。そこで、ロヨラはそれまで修道会に伝わってきた修業の要素の体系化をした。

私は、脳のトレーニングと基本を正すために「脳操」を始めたい。右脳と左脳など部分的に捕らえるのではなく、一体として考える。単なる「頭の体操」ではない。また、レム睡眠やノンレム睡眠などを行う寄生体に似た無気味な脳に対して、基準を作っていきたい。
「眠り」と「死」、また「夢」と「気」の違いは何か?


似た概念ではあるが、かなり違っている。私なりの考え方を述べるが、もしかしたら違っているかもしれない。とくに「死」と「気」の経験を実感したことがないからである。

「眠り」はやがて目覚めるが、「死」は目覚めない。ふつう、そのように考える。だから、死は永遠の眠りなどと言ったりもする。

「夢」は、目覚めによって途中で終わる。生きた脳で、意識をすることなのかもしれない。しかし、「気」は脳の感覚ではなく、いわゆる死後の感覚で、ずっと続くらしい。
日々作ることが大切、見られなくとも。


この新句(十九音)のことである。「日々記憶の断片 生活の知恵」となっていて、「固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしようとした日々のお便り。」とある。

つまり、自分自身が生きている証明とも言える。したがって、とくに優れた記述である必要はない。思いつきやメモでも、よいのである。

そんなことを日々続けるうちに、考え方や方針が定まってくることが多い。そんなために、私にとっては意義のあることで、誰からも見られなくともよいのである。
倒れたら、寝たきりになる場合が多い。


転んで倒れたら、怪我をすることがしばしば。そして、その怪我はたいがい治るでしょう。しかし、脳や循環器系の異常によって倒れたら、問題が大きい。

よいよいや寝たきり、恍惚の人やアルツハイマー病などによるリスクが大きい。それらの症状は、なかなか治らない。むしろ、時間とともに進んでいくのがふつう。

そこで、日ごろから注意をする必要がある。主に、血液に関してである。脳梗塞などを避ける注意がとくに大切。そのためには、水と食べ物に注意が必要。安全な水を多く飲んで、安全な食材を利用しなければならない。
脈絡のない夢があり、なぜであろうか?


ときどき途方もない夢を見る。論理的には納得ができない。いったい、どこで夢を見ているのだろうか?

おそらく、脳が感じていることで、それを感覚として自分が感じるのであろう。だから、脈絡がなくてもストーリは進んでいく。

そうなると脳は、いったい何をしているのだろうか。日中に経験したことがらを睡眠中に整理しているのかもしれない。右脳とか左脳、レム睡眠・ノンレム睡眠などというような場所や機能についての知識はないが、睡眠中には何となく脳全体自体が、まとまった働きをしていないようである。
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