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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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すぐ飽きてしまう性格、直したくあり。


以前はそうでなかったのだが、古稀を過ぎたころから、何かをするとすぐに飽きちゃうことが多くなった。おそらく、体力が消耗してしまったためであろう。

そんなために、いきおい中途半端なことが多くなってくる。つまり、「百舌(もず)の速贄(はやにえ)」になっちゃうのである。

だから最近は、品物やパソコンのツールなどをあまり買わないようになった。もっとも、パソコンでは無料のソフトやブログなどをインストールして、可能性を確かめたりはするが、自分自身の手に負えないものは、放置をしてしまう。百舌の速贄と言われても、仕方のないことである。
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新しいものやことには、ちょっと躊躇。


だいぶ前からであるが、新しいことを始めるときに、躊躇をするようになった。なかなか、新しいものにも馴染めない。自動車のカーナビや携帯電話などにも、かなりの抵抗を感じたのである。

結局、自動車自体もやめてしまった。大型と自動二輪の付いた運転免許証も返上した。そして、携帯電話は未だにもっていない。

このパソコンも、やめてしまおうと思うことがある。しかし、老化予防のための優れたツールであるから、そう思う都度、考えを新たにしてがんばっている。
一段と倹約・工夫の日々の始まり。


私も妻も、古稀を過ぎた。そして、妻もそのうち仕事を辞める。当然のこと、収入が少なくなる。そこで、生活を切り詰める必要が出てくる。

つまり、二人とも完全な年金生活者になってしまう。現在、私たちは公団の賃貸住宅に住んでいるが、それでもかなりの経費がかかる。だから、どうしても生活全体を見直す必要が生じる。

工夫をすることによって、何とか生きていけるかもしれない。しかし、そうかと言って病気になったらお終い(しまい)である。そんなわけで、倹約・工夫の日々の始まりとともに、健康に関しても維持をしていく努力をしなければならない。
何となく生臭くあり、グルコサミン錠。


足の調子が悪くなってから、グルコサミンというサプリメントを一日に十錠ほど飲んでいる。お陰さまで、歩くときの膝の痛みはなくなった。私にとって、効き目もあってよい薬だったと感謝をしている。そして、その後、五年ほどずっと続けている。

最初から気付いていたことだが、ちょっと生臭い感じがする。おそらく、カルシウムの補給のためエビやカニの固い部分を使っているのだろう。

昔から、「良薬は口に苦し」というのだから、そのようなことは仕方がないことと割り切って、我慢をするべきことなのであろうか。
リポビタン、ドデカミンなど飲んではみたり。


ここのところ、ちょっと疲れ気味。そこでリポビタンDやドデカミンなどを飲むことが多い。効くのか効かないのかわからないが、何となくちょっとは元気になるみたい。

リポビタンDは、瓶に「指定医薬部外品」と書いてあるので、滋養強壮・栄養補給の効果があるらしい。製薬会社が作っているので、大丈夫だと思う。

ドデカミンは、12種類の元気成分が入っていると言う。それらは日常で摂れない成分なので、効果があるのかもしれない。500ml入りのペットボトルが、ものすごく売れているので効くのかもしれない。
実際に運命などは、あるのだろうか?


「運命論」とか「宿命論」というのが、あると言う人がいる。私は、あまり詳しくないが文学の中などにも、詳しく述べられることがあるようだ。

つまり、世の中のことや自分のことは、あらかじめすべて決まっていて、その通りになるのだと言う。それを運命とか宿命と言う。だから、いたずらに騒いでも仕方がないと諦める。

しかし、諦めるのであれば、その諦めることもあらかじめ決まっていたのではないか。あらすじが決まっていると考えるのであれば、その考えも決まっていたのではないか。もしかしたら、脳が錯覚をして自覚する単なる一連の論理なのかもしれない。
マヤ暦で、いよいよ終末、すべて終わりか?


マヤは、天文学など古代文明が発達していたという。現在の知識を凌ぐほどである。その一つに、この世は2012年の12月で終末を迎えるという。

言われてみれば、何となくそんな感じもする。世の中の動きや人の考えかたなどが、もはや先の短い感じがするからである。

私などの人知の及ばないところではあるが、万一のことを考えて、覚悟をしておく必要がある。むろん、大災害が生じてパソコンや携帯電話などの通信はおろか、社会のシステムが機能しなくなってしまう。そんなことも、つまり死を覚悟しておかなければならないようだ。
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