rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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日々、生きているということ、覚えに残す。
自分が、「日々、生きている」ということを覚えとして、この五七七という形で残すことには意味があります。
つまり、「生きている証明」が五七七で簡単にできるからです。
むろん、五七七でなくても短歌や俳句、あるいは小説、さらには学術論文などでもできるでしょう。
しかし、短歌は難しく、俳句は幽玄です。小説に至っては、作るのが一苦労。さらに、学術論文では、その基礎研究が大変。なかなかできません。
そんなわけで、自由律の五七七を利用するのです。
五七七には、その表記に関する制約がほとんどないからです。
自分が、「日々、生きている」ということを覚えとして、この五七七という形で残すことには意味があります。
つまり、「生きている証明」が五七七で簡単にできるからです。
むろん、五七七でなくても短歌や俳句、あるいは小説、さらには学術論文などでもできるでしょう。
しかし、短歌は難しく、俳句は幽玄です。小説に至っては、作るのが一苦労。さらに、学術論文では、その基礎研究が大変。なかなかできません。
そんなわけで、自由律の五七七を利用するのです。
五七七には、その表記に関する制約がほとんどないからです。
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