rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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いつの日か、記憶ばかりの日々になるらし。
これは、意味深長な句です。
なぜならば、作者が言葉をもて遊んでいるのではないからです。
おそらく「いつの日」というのは、「死後の状態」を言っているのではないでしょうか。
そして、ふつうに考えるように焼かれてしまったら「脳がないから、思考などできない」と安直に考えるのに対して、疑問をもっているのです。
つまり、肉体は物質ですが、心はエネルギーと考えているのです。
そして、エネルギーはなくなってしまわないで、別の形になって意識を継続するという心配をしているのです。
まぁ、取り越し苦労かもしれませんが、……
これは、意味深長な句です。
なぜならば、作者が言葉をもて遊んでいるのではないからです。
おそらく「いつの日」というのは、「死後の状態」を言っているのではないでしょうか。
そして、ふつうに考えるように焼かれてしまったら「脳がないから、思考などできない」と安直に考えるのに対して、疑問をもっているのです。
つまり、肉体は物質ですが、心はエネルギーと考えているのです。
そして、エネルギーはなくなってしまわないで、別の形になって意識を継続するという心配をしているのです。
まぁ、取り越し苦労かもしれませんが、……
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