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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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キリのないことを次々するは愚かか?


何かを目指してがんばると、チャレンジとか可能性の追求などと言う。蒐集や趣味の場合でも、本格的になると大変だ。それが、あまり社会的に有意義でないことであっても、世間はそれなりに注目をする。

やっている本人は、単に自己満足にすぎないこともあるだろう。そして、ほどほどにするということを忘れてしまった場合も見受けられる。だから、次々とそれに向かう情熱が湧いてくるのである。

『荘子』にあるように「有限の身であって、無限の対象を追うのは危ない」などとは考えないのだろうか。たかが蒐集や趣味などに対して、一時的な情熱や成り行きで馬車馬のように突き進むのは、あまり賢くない方法でなかろうか。まず最初に、自分がやっているのが「キリのないことである」と認識することも大切であろう。
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次々とガタがやってくる、老いたる身体(からだ)。


古希を過ぎたころから、身体(からだ)の不調が次々と襲ってくる。いつも、どこかの調子が悪いのである。歯は年間を通じて、週に一回は歯科医に通っている。そうしないと歯石がたまって、歯周病になってしまうからだ。

それに目。目もダメらしい。パソコンの作業を長くすると、目がかすんだり、キラキラとすることがある。ときには、二・三時間でなってしまう。

ハメマラ(はめまら)とは、よく言ったものだ。魔羅。つまりオチンチンはすでに以前から勢いがなくなった。そして、歯。目ときていたが、ここのところ耳や鼻も悪くなってきた。今までに実感がなかった横井也有の『嘆老辞』を、改めて認識する次第である。
スパイダー・ソリティアやって、運勢をみる。


それほど大げさなことではないが、ちょっと時間が空いたときや、気分転換にスパイダー・ソリティアをやってみる。ふつうは簡単にできるのだが、なかなかできないときもある。それでも、三回くらいすると何とか完成する。

このゲームは簡単に起動できて、ルールもやさしい。そこで、老化予防に利用できる。考えが及ばないときは、ヒントを押して次の札の場所を知ることができる。したがって、自分が気付いていない手があったら、注意力が足りなかったことになる。

前に将棋や麻雀をやったが、かなり一局に時間がかかった。そんなわけで、現在のDELLにはインストールしていない。それで、ゲームは最初からインストールしてあるものだけ、しかもその中でスパイダー・ソリティアだけを私は愛用している。
よろめいて転ぶことあり、注意が必要!


最近になって、足がひっかかって転ぶことがある。さいわい、まだ転倒や怪我をしたことはないが、それでも床や地面に手をつくことがある。若いころには、そんなことはなかったのだが、やはり加齢による症状だろう。

それでも気を付ければ、まだ歩けるだけありがたい。そこで、なるべく足を持ち上げて歩くようにする。決して引きずったような歩き方をしてはダメ。

気を付けなければならないのは、デパートのロンリウムの床。なぜかわからないが、靴の裏が床にくっついてしまうことがある。そうすると、歩こうとしても、足が前に出ない。その結果、前に進まないので身体の重心が崩れてしまって、前のめりに転ぶ。何をしているかということで格好悪いので、注意をしなければならない。

誰と会い、何を話せば、心和むか?


古希を過ぎたころから、何となく心が空洞になったみたい。どうしてそうなったかは、自分自身でもわからない。今までに信じていたことが、間違っているという事実にぼんやりと気付き始めたことは事実だ。でも、そのことに関しては未だに確証がないままになっている。

妻や義姉と話をしても、埒(らち)が明かない。つまり、事態が進展しないのである。話の決着がつかないばかりか、挙句の果てにバカにされてしまうことが多い。

しかたなく自分自身と話す。自問自答である。とどのつまり、問うほうも答えるほうも確証がないので、あいまいな話になってしまう。誰と会って、何について話せば、いったい心が満ちるのであろうか。
なぜなのか、心の空虚、満たされぬ日々。


古希を過ぎたころから、何となく心にぽっかりと穴が空いたように感じることが多くなった。心の空虚と言ってよいかもしれない。そして、そこが満たされない日々が多い。

若いころには、そんなことを感じたことはなかった。もしかしたら、私も加齢によって脳まで衰え始めているのかもしれない。つまり、同じ物事をしていても、それが自分自身を納得させないのではないか。所詮、人間のすることなどという概念に苛まれてしまうのだ。

しかし、投げやりになったり、諦めてしまったりしたのではない。加齢によって衰えていく過程にある自分は、おそらく心の中を充足するバイタリティーさをすでに失ってしまったのかもしれない。何とかならないものであろうか。
古希過ぎて、焼きたてパンを選ぶしあわせ。


ときどきルパの焼きたてパンに行く。そこには、焼きたてのパンがぎっしり。私は、どれを選んでいいかわからない。つまり、一つぐらいしか食べられないのに、おいしそうなのがいっぱい。

決心をしてチーズパンを選ぶことが多い。ときには、博多明太子が挟んである小型のフランスパンにすることもある。ちょっと生臭い感じもしないことはないが、それを渡邊五郎師がおいしそうに召し上がっていたので、私もそうすることが多い。

妻に選択をまかしたときは、甘くて黄色いフランスパンやメロンパンのことなどもある。それはそれで、とてもおいしい。飲み物は、夏場はアイスコーヒー。そして、しばらくの至福のときを過ごす。「いつまで、ここに来られるのであろうか」などと考えながら。……
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