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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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草花と小川と野辺と雨間(あめま)と秋留(あきる)。


いずれも、東秋留駅(ひがしあきるえき)の周辺にある地名だ。東秋留駅は、東京都あきる野市の東端にある。拝島から五日市線で、熊川の次である。

まだ市にならず、私が東秋留に住んでいたころ気付いたことであるが、何とも素敵な地名ではないか。少なくとも、そのころからそのまま。まだ、秋川駅が西秋留駅と言った時代である。三十年くらい前のことであろうか。

最近になって、駅周辺のプチさん(プティ散策)シリーズを行っている関係で、五日市線が多摩川を渡った東秋留駅、秋川駅、武蔵引田駅、武蔵増戸駅(むさしますこえき)、そして武蔵五日市駅の周辺を数回に分けて、それぞれ歩いてみた。三十年前と比べると、だいぶ人口が増えて賑やかになっているが、かつての面影は残っている。そして、その辺りを歩いててみると、何ともなつかしい感じがする。
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楽しみはバスを乗り継ぎ散歩するとき。


今までは、バスをあまり利用しなかった。それが、この夏からシルバーパスを持ったことと、長らく足の膝を痛めてから、大いに考えが変った。歩く距離を少なくして遠くまで行くには、バスが手軽で便利だからである。

費用がかからないことと、そのために小銭を持つ必要がなかったり、運賃を払う際の煩わしさがなくなったことが大きなメリット。だから、気軽にバスを利用できるようになった。

その範囲は、いちおう東京都内ということになっている。したがって、他県に行くときには都合が悪い。その区間の運賃を清算すればよいのだが、それも面倒である。そこで、あきる野市の五日市方面とか、町田市などをプチさん(プティ散策)の範囲とする。いきおい、今までに行かなかったところの訪問をする楽しみが実現できる。ありがたいことである。


いつまでも健康であるなどとは無意味。


私は、いつまでも健康でありたいと考える。しかし、そんなことは無意味であろう。加齢とともに身体の機能が失われていくから、どだいムリなことだ。自動車などが古くなった場合の状態と、似たようなことが人体にも言えるのではないか。

若いうちは疾病に対しても回復力があるが、老いてくると慢性になったり、悪化をしていく。それは、仕方のないことである。

だから、なるべく悪化をしないようにする努力や注意が必要。少なくとも現状を維持する方法を心がけることである。そのためには、食生活と生活習慣を常に見直すのがよい。食い改めるのに遅いことはないし、生活習慣を改めるのは今日からでもできる。つまり、考え方を今までと変える必要があるのかもしれない。
次々と巡ってみたい、歩けるうちは。


ここのところ、神社仏閣巡りをしている。とくに信心をしているというわけではない。そんなことをして何になるのかと言う人がいるが、私は何となく健康によいと考えるし、心が和むからである。趣味や習慣は人生観の問題で、自分自身が納得すればそれでよいだろう。

シルバーパスが利用できるようになってからは、バスを利用することが多い。今まではバスは不便だと思っていたが、乗ってみるとなかなか便利である。小銭を用意する煩(わずら)わしさもないし、歩くときの基点をバス停にもっていけるからである。

ほとんど行ったことのない土地に行くと、見知らぬ場所でありながら、何となくなつかしく感じることがある。デジャビュったり、不思議に初々(ういうい)しい気持ちになったりするから不思議でもある。そんな楽しみがあるから、歩けるうちは次々とプチさん(プティ散策)の巡り歩きをしてみたい。
健康であれば幸福、言うことはなし。


還暦を過ぎたころから、何となく身体の調子が悪いことが多い。気分のよい日が、めっきり少なくなった。仕方のないことかもしれないが、それでも何とかプチさん(プティ散策)に行く。

すると、やがて気分が晴れてくる。現在どうにか歩けるのも、ありがたいことである。そのうちに、寝たきりになったり、歩けなくなってしまうかもしれない。他人を見ていると、そういうケースが多いからである。

とにかく外出ができるのは、かろうじて健康だからであろう。そんな状態ではあるが、まずまず幸福である。行けるうちに、あちこちを歩いておきたいと思う。あまり遠くへ行きたいなどとは考えないが、近くでもまだ知らないところや再発見できる場所がある。そんなところを歩いているときは、幸福で何も言うことはない。
雨の日はなすべくもなく、部屋で地図見る。


雨が降ったり、冬の雪の日などはプチさん(プティ散策)ができない。そこで、部屋にこもって地図などを見ている。それも、楽しみの一つ。

地図は市役所や観光協会などでもらった行政地図や案内書など。いずれも折りたたんだ紙面になっている。むろん、その範囲しか見ることができない。縮尺も決まっている。

そこで、パソコンを起動してからグーグルやヤフーの地図を見ることになる。また、バス協会の案内用路線図なども見る。地図上に、バス停が記述されていて、バスを利用するときには必携。また、パソコンでは航空写真も見れる。縮尺も調節できる。さらによいことは、ドラッグをすることによって、どこまでも見ていける。そんなことをしていると、いつまでも飽きない。
膝痛を何とかだまして、プチさんをする。


膝痛は、「しつつう」とでも読むのだろうか。私は、いつも「ひざいた」でよいと思っている。それはともかく、最近になってから私にも大きな問題になった。やはり、関節の軟骨が磨り減ってしまったのかもしれない。

しかし、それでもプチさん(プティ散策)をする。歩いていて痛くなったら、ムリをしないで最寄のバス停で待って、バスに乗る。したがって、そのようなことができる場所を選ぶようになった。

そして、ちょっと疲れて聖蹟桜ヶ丘に戻ってくる。腹も大いに減っているので、吉野家で豚丼と中瓶ビールを注文して平らげ、ミスドであまり甘くない種類のドーナット二つとブレンドコーヒーをプレーンで二杯飲む。そんな単純な毎日ではあるが、私にとっては至福のきわみである。
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