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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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度忘れとボケが始まり、薬を試す。


還暦を過ぎたころから、何となく度忘れとボケが始まったようだ。
人名や場所の名前などを失念する。誰かと話をしていても、出てこない。したがって、話題が進まない。
思い出そうとすると、頭が痛くなってくる。
しかし後になって、ふと思い出す。もっとも、そのこと自体を忘れてしまうこともあるが、……

加齢によって生じる現象だから、仕方のないことかもしれない。
しかし、高齢でも細かいことまでしっかりと覚えている人もいる。そのような人と忘れっぽい人は、どう違うのだろうか。

恍惚の人や認知症になってはいけないので、この辺でARA(アラキドン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)を含んでいる薬なども確かめてみたいと思う。
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キリのないことは、なるべくやめたくもあり。


人生の持ち時間が、かなり少なくなってきた。
若いころには、考えてもいなかった古希。まったく、老いさらばえたものだと我ながら思う。何とか日々過ごしてはいるが、気力が薄らいでしまったみたい。そんなわけで、ねばりが効かない。

いきおい、ホームページなども中途半端のまま。かつて図書の執筆のときにやったように、校正の作業をしなければならないことはわかる。しかし、担当の編集者がいないので、つい作業を億劫と考えて先延ばし。

そんなわけで、途中で放り投げてしまったページが多い。
また、訪問者が少なく、あまり見られていないホームページなので、自分でわかればそれでよいと考えて、内容を細かにアップデートしない。つまりキリがないことは、なるべくやめたくなってしまったんだ。
何となく自信もないが、それでも作る。


あまり創作に関して欲があるほうではないが、それでも日々の「生きている証明」として、自分自身のために作る。
実際に、この新句(十九音)もそうだ。

意味がないと言ってしまえば、それまで。
意味があるとかないというのは、相対的なこと。誰かが誰かに対して、言うべきことではないだろう。
また、自信があるとかないというのも自分自身のこと。
それを「自信がある」などというのは、不遜の至りだとも思う。

私は、ここのところ「自信満々の人」を見ても、何となく愚かさを感じるようになった。なぜだろうか。
吉野家で豚丼食べて、ミスドでカフェオレ。


ここのところ、あまり外食をしなくなった。
それでも作るのが面倒くさく、妻と一緒に外で食べることもしばしば。
例えば、吉野家では各々豚丼とビール中瓶。それでは、ちょっと物足りない。そこで、ミスタードーナツに行ってドーナット二つ、それにカフェオレ二杯。妻も、同じく。

すると、それでもう満腹。至福の至りである。
まったく安いものだ。

考えてみれば肉が食べれて、さらに甘いものが食べれるのは、現代の流通のお陰。しかし、結果的には何となく「化学薬品」や「毒物」などが体内に蓄積していくような心配もある。
もしかしたら、その「至福の至り」の中にも何かがひそんでいるのかもしれない。「化学薬品症候群」も、要注意!
ヒッチコック、ペリーメイソン、いずれもデブだ!


デブは、性格がおおらかで繊細なことはできないなどと言う。しかし、実際にそうだろうか。ヒッチコックは、決して痩せているとは言えないだろう。また、ペリーメイソンは実在した人かどうか知らないが、デブというか大柄な男だ。

創作中の人物か実在した人かを考えないとして、チャーチルやニール=ドルフ(ネロ=ウルフ)なども、決して痩せているとは言えないのではないか。

私は、むしろ太った大男のような人物のほうが、戦略や推理・思考が優れているのではないかと思う。なぜならば、巨人伝説の流れを汲む系統にあるからである。
そして、かつては大きな男が世界を支配していたのではないかと思う。その思想の片鱗が残っているので、それを忌むためにデブはダメだと言うようになったような気がしないでもない。
目と足が悪くなるかと、いつも心配。


ここのところ、目と足の具合がよくない。
目は、読書やパソコンの作業が長引くと、視界にキラキラと光が入ってしまうことがある。おそらく、網膜を酷使して目が疲れているのだろう。単なる眼精疲労ならよいが、もしかしたら網膜剥離の前兆かもしれない。

足は、膝痛である。歩いているときは、問題がない。しかし、階段を下るときに膝に痛みが走る。体重が重いので、膝の関節にムリが生じるようである。膝の水を抜けば治るかもしれないが、整形外科に行くのが恐ろしいので、何もしないまま。

目が見えなくなって、さらに歩けなくなったら、不自由極まりないだろう。何とかして、そうならないようにしたいものだ。

知らぬ間にクスリのリスク、身に迫りくる。


クスリのリスク。
そんなことをあまり考えない人が多い。病院で処方してくれたり、薬局でアドバイスをしてくれるので、安心して使用する。しかし、最初はよく効いた薬も、次第に効果がなくなってしまうこともある。

また、いろいろな薬を併用すると、思わぬ結果を招くことがある。有吉佐和子『複合汚染』のようなことが、身体の中で相乗効果として起こってしまう。ステロイド剤の使用なども、何となく身体には負担が大きすぎるようだ。

知らないままに陥ってしまうクスリの弊害に留意しなければならない。
クスリには、酒や麻薬のような特性があるのかもしれない。続けるうちに、中毒症状と似た状態になってしまうからである。
そんなわけで、あまりクスリは飲まないほうが無難。と私(rik)は思う。
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