忍者ブログ
rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
ブログ内検索
ご案内


現在、このプログではコメントなどを受け付けていません。
お恥ずかしい個人的な内容が多いからです。それでももしも、ご意見やご質問があればここから願います。


似顔説明

[20]  [21]  [22]  [23]  [24]  [25]  [26]  [27]  [28]  [29]  [30
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

人生に、目的があるという錯覚。

現代社会では、人生に何らかの目的があるなどという錯覚を起こしてしまう。なぜならば、目的と手段を切り離して考えることができず、こうしたらああなるだろうと考える。『孝経』の冒頭に<身体髪膚これを父母に受く。敢(あえ)て毀傷(きしょう)せざるは考の始めなり。>とあり、<身を立て道を行ひ、名を後世に揚げて以て父母に顕はすは、孝の終りなり>と続く。これを戦前の教育では、立身出世を「大臣」とか「大将」というように具体化したようです。
PR
人生は、何のために何をするべきか?

いったい私たちの人生は、何のために何をするべきなのだろうか。そもそも目的は何なんだろうか。古稀を過ぎたころから、そんなことを考えるようになった。そして、もしかしたら目的がないのかもしれない、などと考えるようにもなった。例えば、金儲けをしたり、有名になることが目的ではない。それらは、単に何かをする手段なのであろう。また、心が豊かであれば、とくに何が必要であるという思い自体も、必要がなくなってくるのではないか。
いつどこで見たのだろうか、なつかしい場所。

映画やドラマを見ていると、かつて行った記憶があるなつかしい場所が出てくることがある。ストーリであるから、断片的につないであり、その場所の感覚は事実と異なっているかもしれない。しかし、そこは自分がかつて行ったことのあるなつかしい場所である。デジャビュかもしれないが、改めてなつかしさを感じる。実際に、それがどこかわからないこともあるが、しかし自分自身がかつてそこに存在したことは事実だとも思う。
スッキリとしない日々あり、憂鬱のもと。

最近になって、気分が晴れない日が多くなった。朝起きたときから、スッキリとしないのである。加齢によって、体調が何となく優れないのかもしれない。とにかく、憂鬱なのである。そんなときは仕方がないので、ぼんやりと何かを考えている。考えているといっても論理的な思考はできないので、感じているといったほうがよいかもしれない。とにかく、スッキリとしない日が増えてきたのは事実であって、どうも困ったことである。
ねられない夜多くなり、神経過労か?

最近になって、ねられない夜が多くなった。うつらうつらとして、熟睡ができない。そんなわけで、その代わりといっては変だが、昼間に眠気が襲ってくる。とくに、パソコンをしているときになど、眠気がさしてくることがある。したがって、おそらく思考なども鈍くなっているのであろう。後で見ると、支離滅裂なことが書かれていたりする。やはり、人間は夜に熟睡をして、日中は働くようにできているらしい。
関係のないことやもの、あまりに多い。

最近になって考えてみたら、日々の生活や今後の計画に、あまり関係のない物事が多いのに気付いた。若いころからの習慣で、何でも貯め込んできたために、そんな事態になってしまった。考えてみれば、方丈記ではないけれど、衣食住と薬があれば生きていけるのである。ものを貯め込んだから、健康な日々が送れるというわけでない、逆に、ものが多いと煩わしいことも増えてくる。ほどほどがよいのである。
サスペンス、身近なことで恐ろしくあり。

ときどき、テレビでサスペンス映画を見る。そこには身近なことが、一連の事件になっている。むろん、自分自身は関係をしていない。しかし、何となく現実性に近い話で、ひよっとしたらその中に自分がいるのではないかという錯覚におそわれる。そして、その当事者の立場に、自分がなっているのである。かつて学生時代に読んだ本にもあったことだが、サスペンスのほうが身近で恐ろしい現実性を秘めている。
忍者ブログ [PR]