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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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何となく、先が短い心配がある。

最近になって、何となく先が短くなってきたような心配が出てきた。もはや、古稀を過ぎて七十歳代の半ばであるから、それが当然のことかもしれない。考えてみれば、よくまあ今まで事故もなく、もったものである。健康については、とくに注意をしてきたので、大きな病気にならずにすんだのだと思う。しかし、最近になって身体のあちこちの具合が悪く、日々の生活に支障をもたらし始めてしまった。そして、気力までが失われてきたような気がする。
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老夫婦と言われて、愕然とする。

長男の事故があって、群馬県太田市に行ったときである。警察が関係者に連絡をしてくれた。そのとき、「老夫婦が東京から来ました」と言ったのである。私たちにとって、老夫婦と言われたのは、それが始めて。だから、ちょっとびっくりもした。しかし、考えてみると私も妻も還暦を過ぎ、さらに古稀も数年前に過ぎた。つまり、七十歳代の半ばである。したがって、老夫婦であるのが当然。ただ、そのときまでに、それを聞かなかっただけであろう。
幸福は、すべてを捨てることにあるらし。

すべてを捨てること以外には、幸福になる方法がないと言うのである。かつて、学生時代に読んだ倉田百三の『布施太子の入山』などにも、そのことが書かれていた。また、仏教で建てられた最初の寺院である迦蘭陀竹林は、中インドのマガダ国の首都である王舎城(ラージャガハ)にあった。迦蘭陀(カランダ)長者が所有していた竹園で、長者が仏に帰依したことでこれを仏教の僧園として奉じ、頻婆娑羅(ビンビサーラ)王が伽藍を建立した。
脳に向かうクリプトコッカス、注意が必要!

クリプトコッカスという細菌がいる。それは、ヒトの血液に入ると、脳に向かうと言われる。細菌自体が、高いところへ登る性質があるのだろう。つまり、脳に向かうのである。そして、脳に入ると脳をダメにしてしまう。恐ろしいことである。それは、鳩に寄生している。したがって、鳩の糞などにクリプトコッカスがいる。マンションのベランダに来る鳩には、注意をしなければならない。粉塵になって舞い上がった細菌を吸わないようにすべきである。
何となく失敗だった人生あわれ。

若いころは、あれもしたい、これもしたいと考えた。そして、できる限りのことはした。しかし、自分自身の能力が足りなかったせいか、何も完成しなかったことの連続に気がついた。つまり、自分自身には、優れた能力がなかったということを。しかし、負け惜しみではないが、それでもよかったと思う。何となく失敗だった人生をあわれと思ったり、後悔したりすることは、スピノザの言う二重の後悔であるから、あまり意味のないことなのではないか。
もはやいま、することがなき哀れな老人?

仏教では、すでに学問をきわめて、学ぶことがなくなった僧を「無学」と言う。私たちがいう無学とは、反対の意味である。また、施無畏者(せむいしゃ)などともいう。 観世音菩薩の別称を施無畏者というが、仏や菩薩が衆生(しゆじよう)のおそれを除いて救うことが本来の意味。しかし、することがなくなったという意味には、しつくしたという内容としきれなかったという内容がある。自分自身が、どちらかということは、自分自身でわかっていると思う。
キリがないことはやめよう、つかれるばかり。

かつて、「キリのないことは、なるべくやめたくもあり。」とした。しかし最近になって、やめたいどころか「疲れるばかり」になってしまった。おそらく、年老いたためであろう。「人生古来稀なり」をすでに過ぎて、八十歳に近くなると、何かをすると疲れが激しい。ぼつぼつこの辺で新しいことを避け、今までのことを整理したり、工夫をして自分自身に負担がかからないような方法を見付けるべきではないだろうか。

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