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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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一人でも見てくれる人、いればやめない。


このプログを始めたのが、最初。そして、次々と画像プログを三つ。いずれも、使い勝手を調べるためにテストをしていたのだが、それぞれが素晴らしい特徴をもつ機能なので、ずるずると今日まで続けてしまった。

そして、それなりの反応があるので、やめれなくなった。なぜならば、途中でやめるということは、何となく自他共に失敗をしたことを宣言することになるからだ。また、途中でやめるくらいならば、最初からしなかったほうがよかったと考えてしまうから。

とにかく、四つのプログを毎日こつこつとアップロードするのは大変。そこで、やめてしまうことを考えないでもない。しかし、それでは自分自身に対する挫折のような感じになるので、やめれない。
まったく、恥さらしのことではあるが、……

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恥ずかしい思い出ばかり、なぜ次々と来る?


失敗した記憶や恥ずかしい思い出が、次々と脳裏に浮かぶ。楽しいひとときや得意だったころのことは、まず出てこない。
どうしてだろうか。

「人生を思い出して、楽しかったことはほんの少しだ」と、晩年のゲーテがエッカーマンに語ったそうだ。つまり、記憶している全体量のほとんどが不愉快な内容だったらしい。

ゲーテほどの偉人であってもそうなら、私などほとんどが面白くないことであっても不思議でもないし、また仕方ない。恥ずかしいことの思い出が多いのも、むべなるかなである。
そして、そんなことが次々とやってきて、自分を苛(さいな)むのである。とっくに忘れたころの今ごろになって。


ひたすらに来世を信じ、思考しており。


私は、いわゆる「死後の世界」などは信じない。
しかし、生死(しょうじ)にかかわらず「気」を考えざるをえないのである。その「気」は、「霊」とは異なる。単に質量のないプラズマ体としての存在である。

プラズマ(plasma)は、物質の正イオンと電子とが電離をして混ざった状態。また、生物学・医学では「原形質」や「血漿」(けっしょう)のことも単にプラズマと言い、抗体を作る形質細胞のことを「プラズマ細胞」とも言う。そして、プラズマジーン(plasmagene)は、細胞質に存在する遺伝子、つまり核外遺伝子のことである。

しかし、私が言っているのは宇宙空間を占める割合の大きい正イオンと電子が交じり合って「気」を構成する存在として考えるのです。
飽きちゃって、何をするのも疎(うと)ましくなる。


若いころには、そんなことが少ないだろう。しかし、老いてくると何となく物事に対する考え方が違ってくるみたい。

「疎ましい」とは、「いやだ」とか「いとわしい」気持ち。「その名前を聞くのも疎ましい」などと言う。またさらに、「普通でなく、おっかない」とか「気味が悪い」つまり「不気味である」というような感情。

体調がよくないと、何をしても飽きちゃって、いやにさえなってくる。そして、生きていることにさえ飽きてしまうのである。すると、人生が何となく惰性で続いているみたいな気がする。

肝心なのは、そういうとき。人を殺してみたくなったり、もっとすごいのは人類が滅亡してしまったほうがよいと考える。若くても、化学薬品症候群によって思考力が異常になってしまった脳をもつ人は。とくに、ご用心!
「これでもか」「これでもまだか」と、エスカレート。


近代科学や技術は、目覚しい進歩。かつて考えられなかったほどの技術革新だ。また、社会の仕組みや企業のシステムなども日進月歩で、目まぐるしく合理化されている。

利益追求や発展に対する人間の欲望には、際限がないのかもしれない。
しかし、経済的利益を最優先に求めたり、本末転倒や枝葉末節な問題も多くあって、何となく本質を見逃しているようだ。つまり、発展をさせたために人間社会の根底が、もはや崩れかかっているのではないか。

『荘子』にあるように、「有限の身体で、無限の問題を追うのは危うい」のではないかとうことも、ここのところ考えなくてはならない。いくら追求と言っても、『蛙の腹自慢』ではないが、自分自身すなわち人類が破滅をしてしまっては、まったく意味がないのである。
人間は、馬鹿げたことをするのがふつう。


アガサ=クリスティのポワロシリーズ『メソポタミア殺人事件』(2001年イギリス映画)の中のことである。

美貌の夫人が、自分宛に脅迫状を書いているのではないかと疑われる。実際は、筆跡を真似て嫉妬深い学者でもある夫が書いていたのだが……

それはともかく、ヘイスティング大尉が「馬鹿げたことをするもんですね」と訝(いぶか)って言う。すると、ポワロは直ちに

<人間とは、馬鹿げたことをするもんです。>

と応える。
私も、そんなもんらしいと思う。
晴れた日は、プチさん(プティ散策)をする楽しみが大。


晴れた日に自分の体調がよければ、楽しくなってしまう。なぜならば、プチさん(プティ散策)ができるからである。

曇った日や雨の日は、デジカメの写りが悪い。とくに、空がどんよりしていると建物の屋根と空との境界がくっきりしない。いっぽう青空の場合は、とてもきれいに仕上がる。

また、コントラストなども晴れた日のほうがよい。すべて、オートで写しているので大いに違う。また、フラッシュなども用いない。それほど効果がないみたいだから。お寺の本堂の中などは、フラッシュをたかなくてもじゅうぶん。
そしてノーフラッシュには、読経(どきょう)などをしていても後ろから気軽に写せるというメリットがある。

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