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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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大発見! 左右の眉に白髪(しらが)があった。


平成二十年(2008年)、春の明るい日。
何となく眉に長い毛があるので、切ろうとして鏡を見たらびっくり。その長い毛は、右の眉に一本だけあって白髪である。抜かずに切って、左の眉も見てみた。すると、短いがそこにも白いのが一本。

まぁ、左右に一本ずつであるから驚くほどのことではないが、眉は白髪になりにくい箇所なので、「やれやれ、自分も老いたんだなぁ」という気持ち。
だいぶ前から、オチンチンの上の部分には白髪というか、白い毛がかなりある。考えるに、衰えた部分から白くなるのではないか。どうやら、眉はなかなか衰えないものらしい。

「白眉」(はくび)という言葉がある。中国では、眉が白いのは優れたものを言うようだ。でも、日本で二本ではダメだろう。
さらにまた、私が思い出すのは兪曲園の『顔面問答』にある目・口・鼻に対する「眉の言い分」である。
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この世では、自分で一つ宇宙を作る。


大きいか小さいかなどは、いうなれば相対的な問題。
私にとって、銀河系の宇宙は確かに大きい。しかしウイルスにとってみれば、一人の人間の身体が銀河系くらいになるのでは。

そんな状態に置かれていることを考えれば、自分自身で一つの宇宙空間を作るしかない。つまり、自分自身の「知的空間」である。そのようなことをして、「心の安らぎ」を求めるのがよいのではないか。

もっとも、自分の置かれている立場などをあまり意識しないほうがよいのかもしれない。道に描いた白い線の上を歩くのは、まったく簡単であろう。しかし、千尋の谷に渡された同じ幅の橋を渡るのは、非常にむずかしい。心理的な問題があるからである。
危なっかしい状態にあるということを知ったならば、自分自身の知的空間を作るのが「心の安らぎ」つまり「安心立命」を得る一つの方法。
「犯行に及ぶまで」なる小説を書く。


ある男が、ある犯罪を決意して綿密な計画をたてる。そして、犯行に及ぶのである。私は、そんな短編小説を書こうと思った。

しかし、考えてみれば私は実際にその犯行をした経験がないのである。
そこで、いろいろと考えてみた。
でも、どうしても「主人公の犯罪の心理」や「心の内面の葛藤」がわからない。そんなわけで、作業は進まない。挫折したのである。

『イワン=イリッチの死』という小説がある。
ある男の死ぬまでの心理状態が、恐ろしいほどの克明な描写で書かれている。私は、それを読んだときに「この人は、それまでに死んだ経験がないのに、何ともよく書けているなぁ」と感心した。
考えてみれば、私も発狂寸前?


ここのところ、急におかしくなって世間を驚かすようなことをする人が増えた。奇怪な行動をしたり、人を殺したりする。すでに、脳が犯されてしまった状態である。

まず考えられるのは、長年にわたる化学薬品の飲用などによる「化学薬品症候群」。人類がその過去の歴史に摂ったことのない物質を多量に食べたり、飲んだりするのだから結果は思わぬことになる。
むろん、実験結果などはない。せいぜいラットの小規模なテスト。人体の場合とは結果が異なるだろう。

つまり、誰もが事件を起こした犯人や当事者になりうるのである。そんなことを考えると、最近になって大声を出したくなるようなことがある。もしかしたら、すでに脳が犯され始めているのかもしれない。
あなたは、どうですか?
何故に襲い来るか? 終末思想。


最近になって、ふと終末思想とでも言えるような内容の考えが、脳裏に思い浮かぶことがある。もしかしたら、自分自身がアウトになりかかっているのかもしれない。

とにかく、私たちが何となく不安感がただよう社会の中に置かれていることがわかる。安定しているように見えるが、実は脆(もろ)くて不安定。確実なように見えるが、実は不確実。
そんな漠然とした不安感である。

ここのところ、やけくそになる人が増えてきているようだ。それらの人は、事件を起こして社会の表面に出てくる。しかし、いつそれが自分の番に回ってこないかというような、曖昧な漠然として不安感をいだく人が、現実に増えてきているのではないか。
1000句目の新句(十九音)になりぬ、続いたもんだ!


この作品で、ちょうど1000句目。よくもまぁ、続いたもんだと思う。
日々の思い付きを、「五・七・七」十九音にまとめて、何とかアップロード。中には、いやほとんどが下らない内容であろう。でも、自分自身にとっては「生きている証明」なのだ。

さらに、「こんなことをして何になる」と言ってしまえば、それまで。
しかし、日記をつけるのと同じで、自分自身がよければそれでよい。むろん、ウェブ公開をしているから、誰でも見れる。見られても、一向にかまわない。とくに、秘匿するようなことはないつもり。

それよりも、「継続は力」なのである。
そんなことがわかれば、それでよい。自己満足かもしれないが、……
ムダ多きインターネット、泥縄みたい。


いつも思うのであるが、何ともムダの多いインターネット社会である。ウイルステーブルなどは、日に数回も追加される。いきおい、大きなファイルになってしまう。フィッシング詐欺検出テーブルなども同じ。

つまり、次々と泥縄の状態なのである。
ある国が、地球を七回半破壊できる核兵器をもったとする。すると、もう一つの国が、負けてならじと八回地球を壊滅できる準備をする。何のことはない、イソップだったかの「蛙の腹自慢」と同じ。

さらに結局は、「猿の惑星」ではないか。いったい何のために何をやっているかが、わからないのである。損失が相手に及ぶと同時に自分にもくるので、つまらないルール違反はやめたほうがよい。プロレスの試合で、救急車が数回来るようなことはない。互いに原則を守っているからだ。
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