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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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間違って、自分自身の「歩」を取りにいく。


私は争いが大嫌いなので、勝負事・賭(かけ)・籤(くじ)などをしない。しかし、頭のトレーニングとして、パソコンで将棋をすることがある。

そんなときに、間違って自分で自分の「歩」を取ろうとしたりする。当然のことながら、取れない。それでも自分の過ちに気づかず、マウスが壊れたのかと疑う。まったく愚かなことである。

また、どちらの番かを忘れてしまって、相手の差し手を待っている。これも当たり前であるが、いつまでたっても進まない。相手が打ってこないので、考えていると勘違いをするのである。まったく、お粗末な次第。

それでも、私のやっている将棋ソフトは我慢強く相手をしてくれる。
まったく有りがたい次第。

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直感と精読による会心の一手。


将棋チャンネルで見た入門講座である。
「直感・精読」は、加藤一二三(ひふみ)九段の講座名。続いて「会心の一手」とある。長い経験を重ねると、80パーセントくらいは直感が正しいと言う。残りの20パーセントは、精読をする必要があるらしい。

現代を代表する最強棋士の一人であるにもかかわらず、話し方がていねいで親切。とても好感がもてる、私には。また、痩せた棋士が多い中で、でっぷりとしていて貫禄がある。
そんなわけで、言葉にも重みを感じる。

実際の日常の問題に関しても、大いに学ぶべきことがある。
なぜならば、私もここのところ「直感」の大切さをつくづくと感じ始めているからだ。むろん、当てずっぽうと言うような直感ではない。良く考えて、決めかねるときに行う判断の方法である。
あなたは、いかがであろうか。



ほほえみの七柱(ななはしら)あり、有りがたきかな。


何が有りがたいかって?
正直な話。実はだいぶ前に八王子七福神を経巡(へめぐ)って参拝をした。かなりの行程である。夏だったので、かなりバテてしまった。

そんな中に、一つの寺院に七柱すべてがましますところがある。つまり、一ヶ所ですむのだ。かなり、楽チン。疲れないし、また時間もかからない。

それらの中から、まず「ほほえみ七福神」に行ってみた。
京王線の国領駅を降りて、10分ほど歩く。そして、浄土宗・柴崎院・光照寺。
それで、すべての福神さまのお参りをして、終わり。
歩いて、柴崎駅へ出る。そこから聖蹟桜ヶ丘駅まで、電車で帰る。何とも楽で、有りがたいことである。

ほほえみ七福神が必要であれば、ここから見てください。
また、その他の寺院は、ここ
キリのないことには、あまり深入りしない。


人生には、いろいろとしたいことがある。
また、一方ではムダが非常に多い。
『荘子』に書かれているように、確かに「有限の身体でもって、無限のことがらに立ち向かうのは危うい」ことだろう。

「あれも欲しい、これもしたい!」などと考えるのは、愚かなことかもしれない。キリのないことはほどほどにして、あまり深入りをしないというのも、人生の奥義であるかもしれない。

なぜならば、「人生の目的は何か?」とか「人生とは何か?」ということ自体がわからないのに、その中でもがいたり、あくせくするのは何となく苦し紛れのような感じもする。

さらに、「死んだらどうなるのか?」などを考えると、一生の期間にできることなどは、自己満足にすぎない限られたことであろう。
などと、つい思ったりもする。


いつの日か、老いと衰え、現実になる。


いつの日かなるのならよい。しかし、すでに今日この頃のことなのだ。
急にガクンとくるのが、思ってもいなかった現実。
眠りが浅くなったためか、日中に疲れが出る。パソコンをしていたり、テレビを見ているときも、トロッと眠くなったりする。電車に乗って座ると、寝過ごす。そんなことは、今までになかった。

それと、インスリンの分泌が悪くなったのだろう。食後は、なかなか血糖値が下がらない。それも、ウツラウツラする原因。

何とかしないといけないと思いながら、何ともできない。すでに、身体のバランスが崩れて、ホメオスタシスが正常に機能しなくなっているのかもしれない。

老いと衰えは、紛(まが)う方(かた)ない現実である。
では、安心立命を願うことしかないのか。
デジカメの写真、ほとんどページに入れた。


今まで撮ったデジカメの写真。どこに何があったかを忘れてしまった。見ようとしても、探すのが大変。そこで、整理をしてホームページにアップロード。大きさは、原則として400×300ピクセル。かなり大きくて、重くなる。

しかし、小さい画面ではよくわからない。そして、わからなければ、役に立たないだろう。中には、文字を含む説明文などもあって、とてもその大きさでは読めない。やはり、読めなくては仕方ないので400×300よりも大きくする。

そんなわけで、ますます重いホームページになってくる。
それでも、まだ契約の大きさの60パーセントくらいしか利用していない。何とも有りがたいプロバイダ「ヤフーさまさま」の1ギガバイトである。

これからは、メモとして残してある膨大な文書や断片を整理してアップロードしよう。これは、おそらく今までの文章すべての量くらい入るのではないか。
いきおい、ものすごく重いホームページになってしまう。一つ当たりのページを分割しなければ、……。

いっぱいになってしまうよ! メールボックス。


ここのところ、メールがたくさん来る。
そして、そのほとんどがスパム。次々と削除をしないと、メールボックスがいっぱいになってしまって、それ以上は受信できなくなるだろう。

ちょうど、何日かを留守したときに、郵便受けに新聞やチラシなどがいっぱい入っているのと似ている。それ以上、入りきれなくなっているからだ。

いったい誰が、どのような目的でチラシやメールを届けているのだろうか。むろん、趣味や道楽ではあるまい。
ビジネスの一環として、非合法まがいのことをやっているところもあるようだ。インターネットのいちばんの魅力は、隠れたままできること、そして金がかからないこと。

モラルの向上なくして、科学技術だけが発達した状態では、それが当然なことであろうか。インターネットには、そんな盲点があったようだ。
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