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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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何回も繰り返し言う、至福の昼餉(ひるげ)。


朝から晴れているので、昼過ぎから散歩に出かけた。
大栗川、乞田川、そして多摩川のいつものコース。堤防を歩くと木陰(こかげ)がないので、とても暑い。

乞田川が多摩川に合流するところの公園のベンチで、30分ほど横になる。藤棚になっているので、陽は当たらず、また風があって気持ちよい。これもまた、しばし至福の刻(とき)。

それから、てくてくと歩いて聖蹟桜ヶ丘駅に戻り、吉野家に入る。
きょうは、豚丼が50円引きで280円。瓶ビール(500ml)と併せて(あわせて)何と680円である。退院後に体力がなくなって、ベジタリアンをやめたので、これまた肉食ができる至福。

ちょっと食べたりなくもあったので、ミスタードナツへ梯子(はしご)。
エンゼルクリームとハニーファッション、そしてホットカフェオレをお代わりして2杯。535円だった。これまた至福?


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懐かしきケンプのピアノ、円熟を見る。


中学時代に上方仁さんのお宅で、ウイルヘルム=ケンプのレコードをよく聴いた。まだ、SPの時代だった。でも、後のウイルヘルム=バックハウスなどと比べると、演奏は今ひとつと私は思い続けてきた。

しかし、きょう(2007年8月6日、月曜日)お昼前のNHK(BS102チャンネル)で聞いて、大いに考えを改めた。モノクロのフィルムで、演奏会場の実録であるが、聴衆の表情なども多く交えた録画。

曲は、ベートーベンのピアノソナタ17番(作品31第2)ニ短調、俗に『テンペスト』と言われる曲。すばらしい演奏で、感動した。第二楽章の歌うようなところでは、なぜか涙が出そうになったほど。

そして、終楽章に入ったところが素晴らしかった。何回目かに、わざわざシンコペーションしているのは、実に効果的である。そして、最後は消えゆくようなデクレッシェンド。

ケンプは、<演奏は毎回違う>と言い、<ピアノに向き合うときは、いつも初めてのような気がする>というメッセージを演奏前にしている。
演奏中は鍵盤をあまり見ない。ときには目を瞑(つぶ)っている。
私は、改めて円熟をした芸術を見れてうれしかった。


したきこと、あまりに多く、未完のままに。


あれもしたい、これもしたい。などと考えると、結局は中途半端になってしまいます。つまり、未完のままになってしまうのです。

つまみ食いのような感じで、私のやり方はどうもいけません。
高齢者がいかに日々生き甲斐をもって暮らしていくかを考えて、「生きている証明」のための「入門コース」などを作ってみました。
つまり、「隗より初めよ」で自分自身が確かめながら進めて来たんです。すると、「ミイラ取りがミイラになる」ような感じで、なかなか進みません。

そこで、ある程度で切り上げます。しかし、どうも後味がよくありません。そんな感じで、どんどん深みにはまっていっちゃう。
人生には、ほどほどが大切なのかも?
HP二つ、ブログ・掲示板各一、計四つ、四年目。


いったい字余りだか、字足らずだかわかりません。
また、「HP」は何と読んだらいいのでしょうか?

全部で十ほどあったホームページやブログですが、訪問者も少なく、どうも面倒になってしまい、少しずつ整理をしてきました。
そして、きょう(2007年8月5日、日曜日)、やっと上の四つになった次第。
四年目のなりの果て、つまり結果がもたらした現状です。

情熱を燃やしてやったみたのですが、「燃え尽きた納屋」のように、すっかりアイディアが出尽くしてしまったみたい。

そんなわけで、鴨長明ではないが、がうなやみさごのような自分が好ましいと考え始めた次第。遅すぎた春か?
新句とは、「考えよう」と、ついに見つけぬ。


最初は仮に「五七七」と言っていましたが、私にとっては「真句」なので「新句」と名付けました。「真句」では、他の短詞形、つまり短歌や俳句などに対して不遜だと考えたからです。

しかし、「新句」では何のことかわかりません。
そこで、当分の間は「十九音」と補うようにしました。「五七七」が、十九音だからです。

そして、IBM社の社是が

Think,Think,Think.

であることなどから、「考える」ことの大切さが「生きている証明」につながることを知ったのです。
ありがたい、ゴミ・不燃物、いつでも出せる。


私の住宅では、一階にゴミ収集所があって、燃やせるゴミ、不燃物のゴミ、ビン・カン・ペットボトル、さらには蛍光灯や電池などがいつでも出せます。

可燃物のゴミと不燃物のゴミは、大きなタンクになっていて、鍵のかかった投入口から捨てます。鍵は各自がもっていて、その都度開閉するので、外部の人は捨てれません。

二つのタンクは、かなり大きなもので大型タンカーに全体を積んで搬出するようです。

そんなわけで、いつでもゴミが出せるのでありがたい次第です。
臭(にお)いや防虫の問題も、今のところまったくありません。
快適な生活ができるゆえんです。
マシンなど、故障をしても致し方(いたしかた)ない。


しばしばパソコンが、壊れてしまうことがあります。
修理に出すと、しばらくは手元にないので使えません。

しかし、考えてみれば致し方ないことです。
機械や道具が故障をするのは、当然だからです。

ちょうど、人間の身体が不調に陥って、そのまま病気になってしまうのと似ているではありませんか。
人間の場合は、修理に出すのとは違いますが、入院をしたりすると、何となく故障をした機械と同じ状態のようになってしまします。

機械の場合は、「もう修理をしてもダメだから、新しいのにしなさい」などと言われて、そうしたりすることが多いようです。
人間の場合は、……
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