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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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大食いをすると、なかなか尿糖減らぬ。


ピザの大食いなどをすることがあります。
すると、その後は尿に含まれる糖が長く残ってしまいます。高齢になって、インシュリンの分泌が少なくなっているので、仕方のないことです。

そこで、私は水を多量に飲むことにしています。
つまり、水で身体を浄化しようというのです。

その水は、地下水をくみ上げて化学薬品などを除いたものを使います。むろん、塩素などの含まれていないものです。

すると、比較的早い時間で元に戻るのです。
身体のホメオスタシスは、原始時代から水によっていたことを垣間見る(かいまみる)次第です。
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出来不出来(できふでき)、云々しても解決しない。


最初から、失敗をしようとする人はいないでしょう。
何事も、全力で当たりたいものです。

しかし、目的に向かってアプローチをする方法には、出来不出来があるようです。そして、その出来不出来そのものについて言っても始まりません。

日常の生活は複雑ですから、ここでは将棋で考えてみます。
相手と対戦をすると、ふつう結果は勝つか負けるかになるでしょう。
むろん、千日手などで、引き分けになることもあります。

自分が計画を立てて進んでも、相手のあることです。
相手の計画がわかれば、万全(ばんぜん)の構えができます。
しかし、現実としてはそれがなかなかわかりません。したがって、棋譜(きふ)の再現をしてみると、出来不出来も含めて反省ができるでしょう。


よい悪い、それは個人の価値観にあり。


「よい」とか「悪い」というのは、社会的な規範でしょう。
現在の常識は、幼いころに親に躾(しつけ)られたり、学校で教えられます。かならずしも、それが正しいとは限りません。

かつて、スパルタという国では、子どもたちに泥棒をすることを奨励しました。なぜならば、それが戦争に勝つための模擬訓練になるからです。

私は、現在の学校教育などを考えると、「よい悪い」の価値観に疑問を抱くことがあります。

国は、もう少し、抜本的なことを考えられないのでしょうか。
そして、素晴らしい国にしようという気構えはないのでしょうか。

五七七、まず十九文字のお付き合い。


下記に投稿欄を始めました。
気楽に投稿をしてください。

青空の五七七投書箱(仮称)

また、作品の他にコメントを入れたり、さらに画像を載せることもできます。どうぞ、気軽にご参加ください。

添削などというと大げさですが、管理人が意見を言わせていただくこともあります。

よろしく、願います。
「知空」(ちくう)とは「時空」(じくう)のように略であれかし。


「時空」という言葉があります。
それは、「時間」と「空間」の両方を同時に指す言葉でしょう。
しかし、私にはそれらより、そこに構築される「知的空間」が大切なのです。

しかし、その「知的空間」という言葉を言う「時空」のような略語は、まだないようです。
そこで仕方がないので、私は「知空」という言葉を使います。

おそらく、数十年後には、そのような言葉も広辞苑などの辞書に載るのではないかと思うんですが、……

どうでしょうか。
蒐集をするより、知的空間作る。


いろいろなものを集めることを生き甲斐や趣味にする人がいます。
中には、骨董品や宝石など、さらにはお金を集めるのに一生を捧げるというような人もあるので、驚いてしまいます。

人間の情熱は、あらゆる方面に向かうようですね。
しかし、私は「物を集めてもキリがない」と考えました。まして、土地などは個人で所有しても、まったく意味がありません。
私は、共産主義者ではないのですが、そう考えています。

そこで、自分自身の知的空間を広げることを思いついたのです。
そして、その

 「知的空間の構築」と「知的空間の奥義を見極める」

ことなどの実現に励んでいます。
あなたは、いかがでしょうか。

必要のない物をもつ愚かさを知る。


何が必要か、また必要でないかは、個人の問題でしょう。
また、後に残った者たちの思惑も大きく影響します。
一般的に価値観や考え方によって、大いに異なる結果が残ります。

しかし、私は今までの人生で、何となく間違った判断をしていたみたい。

お金や土地、そんなものはたくさん持っても仕方がないのです。
少しも、安心立命の役には立ちません。

それこそ「人はどれだけの土地を必要とするか」と考えると、何となく空しいものです。でっかいことをした人が、ばかでかい墓を残すとは限りません。

エジプトのファラオの場合と、蒙古のチンギスカンの場合とを彼らが入った墓で、考えてみてください。

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