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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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整理することも必要? 晩年のころ。


何でもしたい放題、いろいろなことをやってきました。
しかし、すべてが中途半端だったようです。そこで、ぼつぼつ整理をしていかないといけません。

何となく、雑駁(ざっぱく)な自分の人生だからです。
私は、他人に対してみっともないなどと言っているのではありません。自分自身に対して、恥ずかしいことだからなのです。

やはり、身の回りはすっきりとしておきたいと思うのです。
そして、やがて死んだときには、妻や子どもたちが、「何も残さなかった」と言うのが、本当は理想的だと考えているのですが、……

あなたは、ご自身に対して、いかがでしょうか。
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クリングス、すぐ壊れるは眼鏡屋の術(すべ)?


私は、今までに眼鏡(めがね)をいくつか作りました。
還暦の少し前から、目がどんどん悪くなってきたからです。
そしてすべて、眼科医で検眼をしてもらい、その指定眼鏡点で作ったのです。

そのうちの一つ。
鼻に当たって、下にずり落ちないような二つの小さな部品、クリングスという部分です。

そこのところの支え片方が、すぐにダメになってしまうのです。
そこで、作った眼鏡屋に持って行くと新しいのに無料で交換をしてくれます。

しかし、何となく眼鏡屋に足を運ばせるための方策ではないかと、疑ってみたくなるのは、私だけでしょうか?
カロリーの高すぎるもの、身体(からだ)に危険?


高齢になってくると、カロリーの高い食事をするのは考えものです。
なぜならば、運動量が減ってきているので、消化しきれないからです。
その結果、肥満になったり、糖尿病、さらには高脂血症など重い生活習慣病になるでしょう。

むろん、若くてスポーツ選手などは肉食や高カロリー食でも問題がありません。また、軍や自衛隊の人たちはカロリーの高い食事をしているようです。

それについても、すでに明治時代に森林太郎(森鴎外)という人が、医学的な立場から軍に指摘をしているのですが、幹部が西欧の列強国に負けない強い兵隊にしたいなどと考えて、愚かな決定をしたのがそのそも嚆矢(こうし)のようです。

とにかく、私は高カロリーを忌諱(きい)したいものです。
ニモニック、五七七なら忘れられない。


古来、古事記のひえだのあれいのように、歌うようにして覚えたと言います。また、ギルガメッシュなどを初めとして、盲目のホメロスなどもそうじゃないでしょうか。
もしかしたら、平家物語の作者も?

そこで、短い五七七を記憶のニモニックとするのです。
ニモニックは、記憶のよりどころになる簡単な語句の場合が多いようです。

落語で、買い物に行くときに言葉を唱えているのですが、途中で変わってしまうという話があります。買う物の名前を口ずさんでいるのですが、橋を渡るときに「どっこいしょ」と言ったので、店に着いてから「どっこいしょ」をくださいというんです。

五七七では、そうなってもよろしい。
それが、「生きている証明」だからです。

これからも作っていこう! 知的空間。


知的空間などと言っても、大したことではありません。

知的空間

知的空間(その奥義)

を参照してください。

そんなことを五七七で、まとめていこうというのです。
あなたも、いかがでしょうか。
身の回り、整理してから、死んでゆきたし。


人生には、思いがけないときに、向こうから死が来るようです。
知人たちを見ていますと、私自身も「そうなる可能性が大」だということを思わざるをえません。

そこで、高齢になってもはや先行きが短くなると、日々の整理が肝要になってきます。整理と言っても、物品やお金のことではありません。

たいがいの人は、考え方やノウハウが不完全のまま朽ち果ててしまいます。つまり、後になってみると、多くの人のその考え方やノウハウは、何一つ残りません。

したがって、「生きている証明」とともに「生きていた証明」が必要なのです。
五七七、日本の調べ、自分の証(あかし)。


この五七七という短詞形は、連句の発句と結句を一緒にしたいわゆる「日本の調べ」のルーツと考えることができるでしょう。

そして、その雄大な歴史的背景のもとに、非常に小さいことであるかもしれないが、自分自身の存在の証(あかし)つまり「生きている証明」を行おうというのです。

そんな心構えで、この短詞形に当たることも、ときには必要かもしれません。
なぜならば、駄作に次ぐ駄作を行っていることがあるからです。

まぁ、ときには大いに反省をする必要がありそうですね。
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