rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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「無」と「空」と「時間」が、同じ概念と見る。
『般若心経』を調べていて、道元の『正法眼蔵』や旧約聖書の『伝道の書』などを思い起こすと、ふとタイトルのようなことを私もついに見つけました。
また、かつて習った樫山欽四郎先生の
<時間をおいて時はない。が、だからといって「つらなり」がないわけでもない。「つらなり」があるからといってそれに任せるならば、「自己の時なる道理」は消え去るであろう。だから「尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時々」である。時は過ぎたのではあるが、過ぎたのではない。つらならないのでもなく、つらなるのでもない。>
などという、べらぼうな理論の実態を何となく垣間見たような気がする今日この頃なんです。
『般若心経』を調べていて、道元の『正法眼蔵』や旧約聖書の『伝道の書』などを思い起こすと、ふとタイトルのようなことを私もついに見つけました。
また、かつて習った樫山欽四郎先生の
<時間をおいて時はない。が、だからといって「つらなり」がないわけでもない。「つらなり」があるからといってそれに任せるならば、「自己の時なる道理」は消え去るであろう。だから「尽界にあらゆる尽有は、つらなりながら時々」である。時は過ぎたのではあるが、過ぎたのではない。つらならないのでもなく、つらなるのでもない。>
などという、べらぼうな理論の実態を何となく垣間見たような気がする今日この頃なんです。
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