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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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残された掩蔽壕と高射砲後。


関東村、つまり調布飛行場の中に今でも掩蔽壕(えんぺいごう)が残されている。戦時中にゼロ戦を隠して待機させたという。半円形のセメントで固めた臨時格納庫のような粗末なものだ。
また、三鷹市の大沢には高射砲を据えた小高い場所が残っている。もっとも、そこからでは上空を行くB29まで弾が届かなかったらしい。しかし、当時はそれなりに応急対策されたらしい。

三鷹や調布には、中島飛行機の工場があったので、とくに防備には重点が置かれた。しかし、いま思うと、当時のアメリカの戦力と比べて、まったく小規模なものであった。

そんな時期に、三鷹市深大寺から武蔵野市グリーンパークの工場まで、地下トンネルなども掘られたのではないか。また、そのころアメリカの本土上陸にそなえて、国民が竹槍を削っていたことなどを考えると、まったく哀れで滑稽でもあり、愚かでもあったのではないか。
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