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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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老いてきて、いつしか病膏肓に入る。


いつの間にか、重度の糖尿病になってしまった。そして、いかにしても血糖値が下がらない。もしかしたら、すでにインシュリンが出なくなってしまったのではないか。

病膏肓(やまいこうこう)とは、病が膏肓(こうこう)にまで進んでしまったこと。膏肓は、間違って「こうもう」とも読まれ、横隔膜の後ろあたりらしい。そして、病気がそこまで進むと、もはや治療が不可能で、アウト寸前という。

いずれにしても病膏肓と言えば、末期症状とも言えるだろう。身体のホメオスタシスが効かなくなって、なかなか治らない。それどころか、ますます症状が悪化していく。つまり、死ぬのを待っているような状態ともいえる。まったく、困ったことである。
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「タンブラン」を探しながら、ラモーの曲聞く。


何となく老人の懐古趣味みたいだけど、繰言でないだけまし。それは、私が中学校のときに聞いたラモーの「タンブラン」という曲。最初の四小節ほど楽譜が音楽の教科書に載っていて、それを保田先生が弾いてくれた。何となく「黄金虫は金持ちだ」に似ていると思ったことをふと思い出したのである。

そんなことで、さっそく「YouTube」で調べてみた。すると、「タンブラン」という動画はない。仕方がないので、下にある「Googleで「タンブラン」を検索する」というところを見る。すると、該当する本があった。そして、「クラブサン名曲集第二組曲」というところに試聴があって、最初から30秒だけ聞けた。

結局、ラモーの再生リストなどもあったが、「タンブラン」という曲は「YouTube」にはなかった。どうも「YouTube」の仕組みが、まだわからない。
老いたらば、一人で遊ぶことが大切。


元来、ヒトの遺伝子は利己的に作られいるらしい。生存競争するためには、当然のことかもしれない。そんなわけで、ちょっと利害関係が異なると、もうダメ。情けない次第。よほど人間的に修養をした人でも、うまくいかないらしい。例えば、宗教の教祖や指導者でも、敵対した相手を皆殺しにしようとする。

旧約聖書の神が、同じ神であるのに「バールの神」を目の敵にするのを考えたらわかる。その下では、ユダヤ人が「ペリシテ人」に敵対した。また、新約聖書でも神の子が「パリサイ人」を嫌ったのは福音書の記述通り。さらに近年にまで引き続き、イスラエルが「パレスチナ」に敵対している。まさしく、サムソンとデリラの構図。

宗教の中でさえ、そのような次第。日本でも、似たような様子。自分自身で一つの宗教空間、つまり知的空間をもつほうが早いかも。
ようつべの動画は、すべて玉石混交。


通称ようつべ、つまり「YouTube」を見る。すると、何万ヒットとうような動画がある。タイトルから興味をもって見ると、私(rik)にとっては、まったくつまらないものであったりする。

つまり、その内容は動画のヒット数には関係がなく、したがってヒット数が目安にならないときもある。そんなことが、最近になってわかってきた。

すばらしい動画もある中で、あまり意味のないものを見ないようにするには、どうしたらよいか。私は、最初の部分を見て、全体を判断するようにしている。30秒ほど見ると、全体を見るかどうかが何となくわかる。玉でなく石の場合は、停止をして次の動画を見る。そんなためにクイックリストを用いると便利である。しかし、途中でやめてもヒット数は上がるようだ。
新しいものは不要の齢(よわい)となりぬ。


若いころは、欲しいものばかり。何にでも興味があって、欲望がとても強かったみたい。しかし、古希にもなろうという時期になると、だいぶ違ってくる。たいがいのことは、手に負えないのである。

それは、気力が減少したかもしれないが、新しいものに対する興味が失われたためかもしれない。つまり、自分自身にとって新しいものとは何か?

いつしか、そんなことを考えるようになったためであろう。新しいと言っても、天下がひっくり返るようなことは少ない。多少の目移りの程度では、動じなくなったのである。
そんなわけで、あまり新しいものを欲しいとは思わない。それよりも、心の平安が強く望まれるのである。
グーグルのアースひもとき、ひねもす過ごす。


世界的に、ここのところ大流行のグーグルである。
今までは検索などに利用していたが、きょうグーグルのアースを始めてみた。しかし、その操作法がなかなか理解できない。チョロメというバーが、アースのインストールとともに出たが、それも使い方がわからないという有様。

また、先日からグーグルのソフト「YouTube」を始めたが、それもまだ全体がつかめないままである。どうも、全体の仕組みが複雑で、使いこなすためには、私の理解の範囲をかなり超えている知識が必要なようだ。

グーグルは話題になるように、非常に高度な技術をもっている。
しかし、その利用者には私のような魯鈍な人間や経験の少ない人もずいぶん多いだろう。もうすこし、わかりやすい使い方にして欲しいものだ。
ラップリンしてみて、尿の不思議さを知る。


もしかしたらラップリン(rapurine)は、私(rik)の造語かもしれない。
rapは、「舐める」。urineは、オシッコ。つまり、小匙三杯くらいのオシッコを舐めて味わうこと。しかし、舐めるのではなく、大量にdrink(飲む)してもかまわない。飲尿でなく、尿糖が出ている場合は、実際は甜尿(てんにょう)になる。「舐」は「シ」または「ジ」、「甜」は「テン」である。

ラップリンをすると、喉の奥にある器官が直ちにオシッコの成分を検知するそうだ。4000種類もの化学成分の識別をして、何が不足しているか、また何が過剰かなどを調べて、脳が即座に必要なフィードバックをするらしい。

そんなわけで、ラップリンをしている人は重病になったりすることもなく健康で一生を過ごせる。むろん、事故や怪我は避けられないが、ガンになったりすることはないという。
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