rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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恍惚の人に、なりたくなくて対策。
何としてでも、恍惚の人には、なりたくない。ここのところ、度忘れやボケが始まったみたいなので、要注意。もっとも、自分がなったら、自分では症状がわからにらしい。つまり、回りの者から見ると行動が異常なのであって、本人はいたって真面目。だから、憤慨をしたり、怒ったりする。それが、また哀れなことである。
そこで、まだ正常なうちに、予防をしなければならない。かつての受験雑誌「傾向と対策」ではないが、傾向が見られたら、対策が必要なのである。そこで、対策をいろいろと考える。
すると、脳の活性化が予防対策としてよいことがわかる。
つまり、文章を書いたり、絵を描く、音楽を作ったりすることがよい。いずれも、優れたものを作らなくてもいい。それなら、私(rik)にもできる。
何としてでも、恍惚の人には、なりたくない。ここのところ、度忘れやボケが始まったみたいなので、要注意。もっとも、自分がなったら、自分では症状がわからにらしい。つまり、回りの者から見ると行動が異常なのであって、本人はいたって真面目。だから、憤慨をしたり、怒ったりする。それが、また哀れなことである。
そこで、まだ正常なうちに、予防をしなければならない。かつての受験雑誌「傾向と対策」ではないが、傾向が見られたら、対策が必要なのである。そこで、対策をいろいろと考える。
すると、脳の活性化が予防対策としてよいことがわかる。
つまり、文章を書いたり、絵を描く、音楽を作ったりすることがよい。いずれも、優れたものを作らなくてもいい。それなら、私(rik)にもできる。
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政木氏の言う現象を垣間見て知る。
たまたま健康関係のホームページから入手をした政木和三氏の講演CDを繰り返し、何回も聞いた。前に三橋伝三郎さんから紹介いただいた政木氏の『この世に不可能はない』という本を読んで、まったく素晴らしい人と思っていたので、そのCDの内容についても大いに感激をした。
実は、私も政木氏の講演に述べられた経験をしたことがある。私には、あまり学問がないので、そのとき実際に自分がシータ波の状態にあったかどうかはわからない。それでも、何となく政木氏が言う脳波になって「一秒が300年くらいに相当する」という理論を脳に感じて体験をしたのであろう。
それは、入院をしていたときに時計の分針が実際に動いているように見えたこと。そして、ふと空間や時間などは絶対的なことではなく、概念や意識でしかないと、生まれて初めて感じたことである。
たまたま健康関係のホームページから入手をした政木和三氏の講演CDを繰り返し、何回も聞いた。前に三橋伝三郎さんから紹介いただいた政木氏の『この世に不可能はない』という本を読んで、まったく素晴らしい人と思っていたので、そのCDの内容についても大いに感激をした。
実は、私も政木氏の講演に述べられた経験をしたことがある。私には、あまり学問がないので、そのとき実際に自分がシータ波の状態にあったかどうかはわからない。それでも、何となく政木氏が言う脳波になって「一秒が300年くらいに相当する」という理論を脳に感じて体験をしたのであろう。
それは、入院をしていたときに時計の分針が実際に動いているように見えたこと。そして、ふと空間や時間などは絶対的なことではなく、概念や意識でしかないと、生まれて初めて感じたことである。
はからいを捨て、恥を捨て、こころ安らか。
夏目漱石の『草枕』冒頭。
<山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。>
まったく、その通りだと私(rik)も考える。
夏目漱石の『草枕』冒頭。
<山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣(りょうどな)りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。>
まったく、その通りだと私(rik)も考える。
人体のフィードバックは効果抜群。
まだ学生だったころ、音楽をハイヒディリティ(HiFi)で聞くために作った真空管アンプ。回路に、ネガティヴ フィードバック(NFB)というのがあった。それは、出力から入力に戻す回路。何のことはない、スピーカの前部から初段のグリッドに数メガバイト程度の抵抗を用いて、電流の一部を帰還するだけの単純な理論だ。
そんな方法で、アンプ自体の性能や安定性が大いに増加することがわかった。つまり、出力の一部を入力に戻すことによって、いろいろなメリットが生じるのである。何となくホメオスタシスと似ている。
どうやら人体にも、そのような機能があるらしい。
いまテスト中で、まだ詳しいことはわからないが、確実に効果がある。いずれも人体が健康になったり、病気の予防をしたりするのである。
まだ学生だったころ、音楽をハイヒディリティ(HiFi)で聞くために作った真空管アンプ。回路に、ネガティヴ フィードバック(NFB)というのがあった。それは、出力から入力に戻す回路。何のことはない、スピーカの前部から初段のグリッドに数メガバイト程度の抵抗を用いて、電流の一部を帰還するだけの単純な理論だ。
そんな方法で、アンプ自体の性能や安定性が大いに増加することがわかった。つまり、出力の一部を入力に戻すことによって、いろいろなメリットが生じるのである。何となくホメオスタシスと似ている。
どうやら人体にも、そのような機能があるらしい。
いまテスト中で、まだ詳しいことはわからないが、確実に効果がある。いずれも人体が健康になったり、病気の予防をしたりするのである。
ガン予防、認知症などならない方法。
ふとしたきっかけから、ガン、認知症、アルツハイマー、高血圧、糖尿病などにならない方法を知って、すこし前から始めた。その結果、高血圧はすでに快癒し、糖尿病が改善しかかっている。
ただし、ガンだけは他の病状と異なって、この方法では治療ができなく、予防だけのようである。日々行っているとガンにはならないが、いったんガンになってしまうと、人体の不思議で対抗性がなくなってしまう。つまり、ガンをその病人の体の定常状態とみなして、抗体ができないらしい。
だからガンに対しては、あくまでなる前に予防として行わなければならない。その他の認知症、アルツハイマー、高血圧、糖尿病などは、かなり症状が進んだ後でも、何とか快癒するみたいである。安全・衛生的で、あまり費用もかからず確実な方法だから、改めてレポートをする予定です。
ふとしたきっかけから、ガン、認知症、アルツハイマー、高血圧、糖尿病などにならない方法を知って、すこし前から始めた。その結果、高血圧はすでに快癒し、糖尿病が改善しかかっている。
ただし、ガンだけは他の病状と異なって、この方法では治療ができなく、予防だけのようである。日々行っているとガンにはならないが、いったんガンになってしまうと、人体の不思議で対抗性がなくなってしまう。つまり、ガンをその病人の体の定常状態とみなして、抗体ができないらしい。
だからガンに対しては、あくまでなる前に予防として行わなければならない。その他の認知症、アルツハイマー、高血圧、糖尿病などは、かなり症状が進んだ後でも、何とか快癒するみたいである。安全・衛生的で、あまり費用もかからず確実な方法だから、改めてレポートをする予定です。
いろいろと問題もあり、病気の病気?
私(rik)がここで言う「病気の病気?」とは、「合併症」と「イルヘルス」のことである。医学的なことは知らないが、イルヘルスとは病気でも、そうかといって病気でもない状態。つまり、半病人である。最近になって、そんな状態の人が多いらしい。
また、最近になって気付いたことだが、「病気自体」も「別な病気」を次々と呼ぶらしい。つまり、悪い症状が増していく。単純な症状であったら誰でも同じであるが、合併症やイルヘルスの状態では、各人各様の複雑な病状になってしまう。いきおい、治りにくくなる。
骨折などの怪我や盲腸炎などの部分的な問題は、手術をすると問題なく治ることが多い。しかし、複雑化した合併症やイルヘルスの状態は、なかなか治りにくいので注意が必要。
私(rik)がここで言う「病気の病気?」とは、「合併症」と「イルヘルス」のことである。医学的なことは知らないが、イルヘルスとは病気でも、そうかといって病気でもない状態。つまり、半病人である。最近になって、そんな状態の人が多いらしい。
また、最近になって気付いたことだが、「病気自体」も「別な病気」を次々と呼ぶらしい。つまり、悪い症状が増していく。単純な症状であったら誰でも同じであるが、合併症やイルヘルスの状態では、各人各様の複雑な病状になってしまう。いきおい、治りにくくなる。
骨折などの怪我や盲腸炎などの部分的な問題は、手術をすると問題なく治ることが多い。しかし、複雑化した合併症やイルヘルスの状態は、なかなか治りにくいので注意が必要。
ほどほどにすることがよく、こころ安(やす)らか。
若いころは「何事も完璧にしよう」などと考えて、努力をしたものだ。そして、そうならないときにはいつも葛藤を生じた。
考えてみれば、人間が万事を支配できるわけがないのである。したがって、思うようにはいかない。むしろ、そう思うとよいものができないのである。前にペルシャの絨毯(じゅうたん)には、一箇所の織りミスを残しておくという話を聞いたことがある。
人生も終盤戦になって、つくづく思うに完全な終末などできっこない。一箇所どころか、結果的にはミスのほうが多いみたいだ。そんな簡単なことが、若いころにはわかっていなかった。ほどほどにして、人生の終わりを向かえるほうが、こころが安らかであろう。
若いころは「何事も完璧にしよう」などと考えて、努力をしたものだ。そして、そうならないときにはいつも葛藤を生じた。
考えてみれば、人間が万事を支配できるわけがないのである。したがって、思うようにはいかない。むしろ、そう思うとよいものができないのである。前にペルシャの絨毯(じゅうたん)には、一箇所の織りミスを残しておくという話を聞いたことがある。
人生も終盤戦になって、つくづく思うに完全な終末などできっこない。一箇所どころか、結果的にはミスのほうが多いみたいだ。そんな簡単なことが、若いころにはわかっていなかった。ほどほどにして、人生の終わりを向かえるほうが、こころが安らかであろう。