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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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大食いの癖、なおらずに古希に近づく。


それほど、うまいものが食べたいとは思わない。しかし、腹いっぱい食べたい。そして、その思いがなかなか断ち切れない。歳をとってもそう。

もしかしたら、食べ物が不足していた貧しい時代から、遺伝子の中に強く組み込まれている本能なのかもしれない。そんなためか、私は大食いである。

ちょっと恥ずかしいのであるが、一人前では足りないことが多い。外食でもそうである。何となく、食べたりない。例えば、吉野家で豚丼とビール。ちょっと食べたらずの状態で、ふらふら~っと帰り道のミスタードーナツに入ってしまう。そして、ドーナットを二つとカフェオレ二杯。それで、至福のとき。

帰り道を変えてドーナットを避けてみたが、部屋に戻るとつい冷蔵庫を開けたりする始末。それで、そんな姑息なことはやめた。

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何事も中途半端で、終わるか一生?


ライフワークなどという言葉がある。
しかし、なかなか満足な回答が得られない。「健康」と「老化予防」、そしてさらに「安心立命」の研究をしているのだが、正直なところ自分自身さえも健康とはいえない。むしろ、慢性の疾患をもった病人である。

また、老化予防の調査や研究をしたものの、どんどんと老化をしていく。それどころか度忘れが多くなって、認知症の初期症状のようだ。もしかしたら、アルツハイマー病が発症しているのかもしれない。

さらに、安心立命についてはまったく覚束ない。暗中模索といったところ。そんな次第で何もわからないままに、一生が終わってしまうのかもしれない。
残念なことである。
ボーン言う、「ベジタリアンは体にいいの!」。


テレビドラマの中であるが、ボーン博士が相棒のブース捜査官に言った。その字幕は、

<菜食主義は体にいいのよ。これは合理的な選択よ!>
(BONES シーズン3の#3『サラブレッドの最期』)

となっていた。
この番組は、エキセントリックな内容が多いが、ボーン博士の言うことはいつも合理的。そもそもボーンは骨のことであって、彼女のニックネームである。死体の骨から、犯罪の事実を探り当てるのだ。
で、かつてブースが彼女をそう呼んだときに、その呼び方はやめてほしいと言ったことがあるが、その後ずっとそう呼んでいる。
些細な発言でも、なかなか教えられることが多い番組だ。

竹島は、日本固有の領土だという。


確かに、そうかもしれない。しかし、相手のあることには難しい問題がある。双方に利害関係が対立するときには、なおさらであろう。

そこで、私は考えてみた。
そもそも、国家間で争うほど愚かなことはない。それで漁夫の利を得る国もあり、そのためにダメージを受ける国もある。チャップリンの『独裁者』ではないが、まったく無意味なことだ。

EUなどを考えると、どこまでが一体なのかを最初に明らかにする必要があるだろう。例えば、人間の身体である。兪曲園『顔面問答』のような言いあいをしても始まらない。仏教の説話にある「蛇の頭と尾」もそうだ。

何となく歴史では、愚かなためにムダな争いを繰り返しているようだ。
ボケ症状、何とか防止したいと思う。


ここのところ回りの人が、次々と認知症になっているようだ。
Mさんの母上は、アルツハイマー病。お若かったころの才媛の面影はすでにない。Oさんの奥さんは、家庭で面倒がみれなくなって入院。そして、Yさんご自身は前に話したことも忘れてしまったみたい。いずれも「恍惚の人」などを卒業してしまった感じ。

そんなことを考えると、自分自身のことが心配になってくる。
なぜならば、ここのところ度忘れや失念が増えてきているから。もしも、記憶がやられてしまうと生きている意味がなくなってしまうだろう。

古希であるから仕方がないなどと言ってみても意味がない。それよりも、具体的な方法を考えて、何とかしなければならない。少しでも、脳の機能を正しく保ち続けるために。
また、回りの人に迷惑をかけないためにも。
付けてみる? 「バカにするのもほどほどにしろ」。


私は、あまり俳句のことは知らない。
名句と言われているものが、それほどに感じなかったり、反対に新聞などに載っている小学生の俳句などに感激をすることがある。それが、素晴らしい作品であるからだ。

私は、俳句五・七・五を上句として、下句に「バカにするのもほどほどにしろ」を付けてみる。例えば、「古池に石投げ込めば音がした」という句があったとする。その場合には、「古池に石投げ込めば音がした・バカにするのもほどほどにしろ」とやってみる。

そして、何回か唱えてみてすっきりしたらNO、何となく馴染みがなかったらOKである。そんな評価をして、自分自身の価値観を決めている。
生き方と考え方を改善・工夫!


生き方と考え方を改善・工夫することによって、人生が豊かになるようだ。
最近になって、そんなことが次第にわかってきた。
高齢になったせいであろうか。若かったときに見えなかったものが、見えてきたのかもしれない。

生きているからには、やがて死ぬだろう。当然のことである。
しかし、生きているときには生き方の改善や工夫がある。また、考え方についても同じ。

生きていて、死んだ後のことを考えるのは、取り越し苦労と言う人もいるようだ。しかし、今までの考え方と異なった考え方があるかもしれない。
そんなことは、ムダナことだろうか。
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