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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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生きている意味、知りてより心安らか?


「あれも欲しい」、「これも欲しい」などと思う。
また、「あれもしたい」、「これもしたい」などと考える。
人間の欲望には、まったくキリがないようだ。

しかし、私たちが生きている本来の意味を知れば、そのようなことがなくなって、心が安らかになるのではないか。

とどのつまり、人間を含む動物は「子孫を残すため」に生きているのであり、それが最終目的であり、本来の意味であるらしい。
そのために、例えば「恋人が欲しい」とか「金が必要だ」と考える。思想や哲学、宗教や信仰などは、いわゆる高度に発達した人間の脳がもたらす幻影。
他の動物のことを考えると、何となくわかる。
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地図を見て、行きたいところ限りなくある。


地図を見ていると、行きたいところが次々と出てくる。まず、かつて行こうと思って行けなかったところ。そして前に行って、もう一度行ってみたいと思う場所。あまり費用もかからないし、時間があるので行けないことはない。しかし、なかなか実現ができない。

なぜならば、ここのところ体力が心配だからである。
したがって、日帰りでムリなところはビジネスホテルを利用して、行き先で一泊する。そのような方法になってきた。

地図を見て、いろいろと計画を立てるのも楽しい。以前は国土地理院の地形図を利用したが、最近はグーグルの地図。最初は、大きな倍率にしておいて計画を練(ね)る。そして、現地を詳細を見れる倍率にする。そしてさらに、航空写真モードにするのである。
そんなことをしていると、とても楽しい。


何となく、苦し紛れの神社仏閣。


「苦しいときの神頼み」などと言います。
また、切羽詰(せっぱつま)って「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」、または「イエスさま」「マリアさま」などと唱える人もいるでしょう。

私はここのところ何となく体調が優れないままに、あちこちの神社や仏閣を参拝してみました。なぜならば、古来からその方法が行われているからです。現代でも、地鎮祭や各種の祈願が行われているが、それらはバカバカしいこととは思われないからです。

病むということは、身体の不調が次第に大きくなることです。
しかし、必ずしも物理的なこと、つまり肉体の状況ばかりによらないで、「病は気から」などというように、気持ちが原因の問題もあるでしょう。
そんなことも、つい考えるのです。
ギョッとするほどのニュースが日々あまたあり。


毎日、私は必ずと言ってよいほどNHKのニュースを見る。
そこには、実に驚くほど異質な事件や不思議な現象が次々と現れる。また、常識では考えられないようなこともしばしば。

科学技術が進み、交通機関が発達し、電化製品などが普及した快適な生活の中で、なぜ凶悪な犯罪などが次々と発生するのだろうか。
おそらく、互いに人間の本質がわかっていないのであろう。
そこで、「人間とは何か?」というような原点に返って考えてみようと思う。

つまり、ポアンカレの宇宙トポロジーを人間について考えてみる。私はサーストンの8種類のパターンではなく、単に「内包」(球)と「外包」(ドーナッツ)の二種類で、理論を構築していこうと考えているのだが、……
食べ物に気をつけましょう! 健康のため。


ここのところ、食べ物に異物が入っているニュースが多い。
輸入食品にもあるが、国産の一流会社の製品にもしばしば。
化学薬品などで人体に有害な物質が入っていて、ニュースになる。食べた人が不調を訴えたり、入院をしたり、ひどいときは死亡する。
常に「化学薬品症候群」には、細心の注意が必要である。

なぜ食品に有害な化学薬品や毒物が混入するのであろうか?
製造工程の故障でそうなるときもあるが、人為的になされたような傾向もかなり見受けられる。

スーパーなどで少しでも安ければ、そのほうを買ってしまうというのは、ちょっと考え物である。そんなわけで、私は原則として、生産者の氏名が明らかなものしか買わないことにしている。
「いずれまた機会がある」と思うは空し。


相手が高齢者の場合は、意外に機会を失うことが多い。
それこそ、一期一会と考えておかねばならないだろう。
つまり、お互いに生身の人間であるから、いつどうなるかわからないからだ。

私も、知人から教えてもらいたいと考えたことが多くある。
例えば、大岩唯浩さんからは植物に関すること。そして、高橋伝三郎さんからは健康のこと。などなど。
しかし、もう教えてもらうことはできない。
なぜならば、それらの方々は、すでに亡くなってしまったからである。

また、「孝行したいときに親はなし」などと言って両親の場合も同じ。さらに、「墓に布団は着せられぬ」などとも言う。孝行はともかく、親にも聞いておきたいことも多くあった。
ガクガクとする膝耐えて、階段降りる。


平地にあるのは問題ないが、高台にある寺や神社では階段が急なところが多い。登るときは、ふうふういいながらそれでも何とか。問題は、くだるとき。体重が一気に足にかかる。したがって、膝の負担が大きく、ともすると痛くなってしまう。

それは、寺社でなくても同じ。駅の階段などでも注意が必要。テレビのコマーシャルではないが、軟骨がすり減っていて当たるためかもしれない。いつごろからか、そうなってしまった。

そんなわけで、駅などではエスカレータやエレベータを利用する。しかし、寺や神社には設備がない。ただ、階段のほかに坂道があることもある。また大きな寺社では、自動車が本殿の横にまで行けるようになっている。そんなときは、登りは階段、下りは坂道。それが、最近の習慣になった。
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