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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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ふと「何をしたらいいのか?」わからなくなる。


情けない話ではあるが、最近になってのこと。何かをしていて中断すると、何をしていたかを忘れてしまうことがある。つまり、途中で電話が入ったりすると話し終えてから、さて何をしていたのだろうなどと考えることがあるのだ。

以前は、そんなことがなかった。
サブルーチンへ行って、メインルーチンへ戻れないプログラムのような感じ。何となくボケが始まってきたのか、いわゆる恍惚の人になりかかっている様子に、我ながら愕然とする。

身体はすぐに疲れやすくなっちゃうし、記憶はふとした拍子に薄れてしまう。何とかならないものであろうか。しかし、もしかしたら償却年数を経た機械の損耗のように、廃棄しないと解決できないのかもしれない。
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説法の中の世界に入(い)りこむ私(わたし)。


『父母恩重経』(ぶもおんじゅうきょう)というのがある。
実際に釈迦が説教をした経典ではなく、だいぶ後に中国で作られたいわゆる擬経らしい。しかし、その内容が素晴らしい。

私は、いつも愛読をしている。そして、たいがいはその中に引き釣りこまれてしまう。何となく、身につまされる内容だから。

古臭い内容などと、言ってはいけない。また、釈迦の説いたものではないなどと、言う必要もない。素直に読めばいいのである。その内容は、現在でも大いに学ぶべきものがある。つまり、現代人にも必要な内容なのではないか。

そんな意味で、「仏説『父母恩重経』全巻」としてここに写経をしてみた。
急速に衰えていく身体(からだ)と心。


還暦を過ぎたころから、うすうす気付いていた。衰えが急速に進むのである。疲れやすくなったことは、すでに紛(まが)うことなき事実。まぁ、年齢(とし)だから仕方ないなどと考えていた。

しかし、古希が近くなると、そのテンポがいっそう激しくなったようだ。仕方がないどころではない。何とかしないと、動けなくなっちゃいそう。身体が衰えると、心まで滅入ってしまうみたい。そして、何となく何事も億劫になってくる。

ウルマンの詩を読み直してみた。すると、そこには
<60歳であろうと、はたまた16歳であろうと、心中に不思議なものに興味をもつ気持、……>
とあるではないか。
愕然とした。70歳などとは、書いてないんだ。でも、最後に80歳と書いてあるので、ひとまず安心。

急速に衰えてゆく身体(からだ)になりぬ。


還暦を過ぎ、古希に近くなるとガクンと身体が衰えてくる。そんな身体に驚くとともに、いとおしみももつ。現実の厳しい事実に向き合って、嘆きというよりか、むしろあきらめに近い気持ち。

何をしても、すぐに疲れてしまう。また、興味が長続きしない。
そんな状態であるから、長時間がんばることができない。何事も手数をかけずに、簡単に処理をするようになる。

もともと、あまり複雑なことは嫌い。したがって、生活も質素であるし、派手なことはしない。それなりに、自分自身で納得をする範囲で楽しむのである。

体力が衰えるのはやむをえないが、気力まで失わないようにしたい。
思い出を紡(つむ)ぐ技法に「自己福音書」。


紡(つむ)ぐとは、綿花や繭から少しずつ糸を作りだしていくこと。最初から、綿花や繭の中に太い糸があるのではない。つまり、少しずつそのようにして、より出して太くすること。

したがって、わざわざ「思い出を紡ぐ」などと言った次第。
かつて、養老院や老人ホームなどでは、老人が昔のことを話したりするのを禁止した。老人の繰言(くりごと)は無意味で、愚かしいと考えたからである。

しかし、回想創造法とともに「自己福音書の技法」が開発されてからは、今までの考え方がかなり間違っていたことがわかった。三木アヤさんの「箱庭療法」や森田正馬さんの「精神療法」などと同じで、大いに治療の効果があるだろう。さらに、予防としての意味合いがかなり大きいので、私は自分自身でそれを試している。
意味不明・支離滅裂なことを言う人。


電車に乗っているときのこと、隣の人がブツブツと言っている。よくわからないが、まったく意味不明な内容。また、前後のつながりなどの脈絡がなくて支離滅裂である。

おそらく、すでに脳に異常が起こっているのであろう。でも、今のところは、まだ他人には危害を加えないようである。しかし、被害意識が増してくると、どうなるであろうか。自己防衛の形で、相手より先に攻撃をかけるだろう。いわゆる、先制攻撃である。

ここのところ、精神的におかしな人が激増しているらしい。おそらく、食生活の偏りからきているのではないか。10年くらい以前に、私が提起した『化学薬品症候群』ともいえる結果が、ここのところ次々と現れている。まったく、困ったことである。


現代の矛盾を孕(はら)む競争社会。


現代社会は、競争の社会らしい。物心のついたときから、競争をさせられる。子どものころから教えられ、受験競争から始まって、就職合戦。そして、社会人になると、企業間の厳しい淘汰の中に置かれる。

かつて教えられた『孝経』でさえ、そうである。
<身体髪膚これを父母に受く。敢(あえ)て毀傷(きしょう)せざるは考の始めなり。>のすぐ後には<身を立て道を行ひ、名を後世に揚げて以て父母に顕はすは、孝の終りなり>とある。
これを戦前の教育では、立身出世を「大臣」とか「大将」というように具体化して教えた。しかし、大臣や大将には多くの人がなれるものではない。

貧しい時代の名残であろうか。元来、遺伝子がそうできていると言ってしまえば、それまでではあるが、……。
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