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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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知足とは日々の幸せ、生きる喜び。


老子だったろうか。
「それが少しでも、満足をすれば至福。しかし、いくらあっても不足と思うならば不幸」。そんな記述が、『道徳経』の中にあったと思う。

同じことをローマ皇帝マルクス=アウレリウスが言っている。『自省録』の中である。


京都の有名な寺の蹲(つくばい)に、ちょっと変わったデザインで書かれた文字がある。これは、はっきりと覚えている。
「口」という字のまわりに「五」「隹」「止」「矢」を配置してある。
「吾唯足るを知る(われただたるをしる)」と読む。
水戸光圀の発案ともいう。
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富士山がくっきり見える、冬の晴れた日。


冬の晴れた日には、富士山がくっきり見える。
とくに、風が冷たく身を刺すような日には、鮮やかある。雲がまったくなく、裾野まで真っ白で清々しい。

また、晴れた日にはデジカメ写真の写りがよい。
青空をバックにした風景などは、思ったよりも素晴らしい仕上がりになる。焦点距離などを合わせなくとも、ピンボケになることは少ない。

デジカメ写真機は、私にとって貴重なツール。
人物や風景以外にも、説明文なども撮ってしまう。すると、部屋に戻ってから、ゆっくりと読み直すことができる。
寒い中を出かけて、いろいろと撮影してきたものをペイントショップなどで、編集をするのも楽しい。

そんなわけで、冬の晴れた日には寒くても出かける。



迷いおり、機器に慣れるか、慣らされるかを?


新しい機械やパソコンソフトなどを買う。
最近の機械やソフトは、なかなか高性能・複雑でわかりにくい。一通りは動くのであるが、その性能を発揮させることは至難の業。

そんなわけで、機器に慣らされてしまう。そしてその結果、特定の機能だけを利用して、使わなかったり使いこなしきれない仕様が数多く残る。

とどのつまり、性能や能力があっても、それを出し切れない。
ときには、「宝の持ち腐れ」というようなことになる。
本来ならば、機械は人間が使うものである。それが、逆に機械に人間が使われているような光景をかもし出す。

使いこなせない機械ならば、初めから持たないほうがよいかも。
そう思いませんか?

もう一度、読んでみたいと思う本あり。


かなり以前に読んだ本で、もう一度そのストーリに触れてみたいと思うことがある。そのときに、かなり印象的であったから。
しかし、その箇所は覚えているが、書名を忘れてしまっている。
そんなことが、よくある。

同じことが、映画にもある。
シーンだけを覚えていて、題名を知らないときである。だから、再び見ることができない。テレビなどで途中から見たときは、とくにそう。かつて、「かくも長き不在」という映画がそうであった。その題名を知るのに、調査が数ヶ月もかかった。

さらに、もう一度会ってみたいと思う人がいる。
そして、物故してしまったり、転居先不明であったり、どこの誰かがわからなくなってしまった人、そんな場合もかなりある。
もともと、人生は一期一会なのだろうか。
騒ぐほど悪くないのか? 身体(からだ)も社会も?


ここのところ、どうも身体(からだ)の調子が悪い。
また、社会の情勢もあまりよくないようだ。

しかし、である。いくら身体の調子が悪いと言っても、まだ動けないわけではない。スーパー銭湯にも行くし、レストランで食事もする。目も見えるし、足も歩ける。
でも、何となく具合が悪いことも事実。いわゆる、どちらかと言うと「健康でない、病める身体」なのであろう。そして、少しずつ悪くなっているのは明白。

いろいろな問題が、次々とニュースになる。
政府高官の汚職や食品衛生の問題。しかし、ペストのように蔓延して、一国の人口の半分以上が死んだり、政府の役人が革命や戦争を起こしたわけではない。つまり、国が少しずつ疲弊をしていく途上にある問題が、次第に露呈しているにすぎないのではないか。

楽しみは、日々の中にも些細(ささい)な発見。


些細(ささい)とは、「あまり重要でないこと」や「取るに足らないこと」などかもしれない。しかし、それでも自分自身にとって、大きな発見の喜びがある。

そんな発見が、意外にもプチさん(プティ散策)の途中にある。
また、それをテレビを見ているときに、たまたま確認したりもする。

ちょっと変わった形の木を見つけたりすると何となくうれしい。
そこで、書き足していけば「木の変容」などというアルバムになる。

また、地名や人名などでもよい。つまり、地番の表示板や表札。
それでも「地名・人名考」のように、メモだけしておいて、後で書き足していけばよいのである。

そんなことが、あなたの「老化予防」の一環としても、大いに有効だ。
オオイヌノフグリ咲きおり、春の陽射しに。


毎年のことである。
年が明けて少し暖かくなると、多摩川の土手の日向(ひなた)に、オオヌノフグリが瑠璃(るり)色の小さな花を咲かす。とくに、風の少ない陽だまりになっているところには、早く咲くようである。

「イヌノフグリ」という種(しゅ)の大きなものが、「オオヌノフグリ」。
それでは、何で「犬のふぐり」などというのか。
そもそも、「ふぐり」とは何か?

「ふぐり」は「陰嚢」(いんのう)と書いて、金玉(きんたま)のこと。男のオチンチンの下にぶら下がっている二つある睾丸(こうがん)。

つまり、種(たね)が二つ並んでいる形が、小さいながらも犬の金玉に似ていることからつけられた名前。ヨーロッパ原産で、明治時代に日本に帰化したのであるが、もっとよい和名が付けられなかったのだろうか。
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