rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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鼻を花の形にして、虫捕る奇妙。
前に読んだ本である。『鼻行類』という書名だったと思う。創作らしいが、日高さんが監修をしているので、学術書の形態をしている。したがって、内容を荒唐無稽と学問的に反駁するのは困難であろう。
不思議な動物、鼻行類は実在したか?
絶滅をしてしまったタスマニアウルフやアイリッシュエルフなどのことを考えると、あり得ないことではない。また、現存するカモノハシなども参考になる。
さらに、鼻の効用を考えるとゾウ。ゾウほどではないが、バクも鼻が進化をする途上にあるようだ。有るものを在るというのは簡単だか、無いものをかつて在ったといわないで、初めからなかったというのは難しいかもしれない。
ある宗教団体は、恐竜などいなかったと言う。じゃ、「化石はなぜあるのか」と尋ねると、神は「疑い深い人間のために、最初から骨だけをお作りになった」と答える。そんなもんかもしれない。
前に読んだ本である。『鼻行類』という書名だったと思う。創作らしいが、日高さんが監修をしているので、学術書の形態をしている。したがって、内容を荒唐無稽と学問的に反駁するのは困難であろう。
不思議な動物、鼻行類は実在したか?
絶滅をしてしまったタスマニアウルフやアイリッシュエルフなどのことを考えると、あり得ないことではない。また、現存するカモノハシなども参考になる。
さらに、鼻の効用を考えるとゾウ。ゾウほどではないが、バクも鼻が進化をする途上にあるようだ。有るものを在るというのは簡単だか、無いものをかつて在ったといわないで、初めからなかったというのは難しいかもしれない。
ある宗教団体は、恐竜などいなかったと言う。じゃ、「化石はなぜあるのか」と尋ねると、神は「疑い深い人間のために、最初から骨だけをお作りになった」と答える。そんなもんかもしれない。
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すっきりとしたスタイルに、したいと思う。
身体(からだ)のことじゃない。
今までに作ってきた『青空のホームページ』である。
最初、300メガバイトの大きさで4つに分けていたものが、ヤフーの1ギガバイト1つに、すべてが入ってしまった。それと、「日々のお便り」はHP内では追加が面倒、そこでこのブログとした。そのように、何とか工夫をしてみたものの全体としては、まだすっきりしていない。
「index.html」は、むろん一つである。
しかし、前の状態を引き継いだので
「index_riko.html」「index_nyumon.html」「index_sousaku.html」
の三つがある次第。
何とかして、もっとすっきりしたスタイルにしたい。
身体(からだ)のことじゃない。
今までに作ってきた『青空のホームページ』である。
最初、300メガバイトの大きさで4つに分けていたものが、ヤフーの1ギガバイト1つに、すべてが入ってしまった。それと、「日々のお便り」はHP内では追加が面倒、そこでこのブログとした。そのように、何とか工夫をしてみたものの全体としては、まだすっきりしていない。
「index.html」は、むろん一つである。
しかし、前の状態を引き継いだので
「index_riko.html」「index_nyumon.html」「index_sousaku.html」
の三つがある次第。
何とかして、もっとすっきりしたスタイルにしたい。
『青空のホームページ』は、軽・薄・短・小。
『青空のホームページ』の内容は、一口に言って「軽・薄・短・小」の世界をすべて含んでいる。
つまり、自分でも簡単に作曲できるような軽い音楽。
芸術的には薄いが、簡単にできる絵やデジカメ写真。
短い詩、例えば短歌や超簡単な新句(十九音)。
小説もどき、それは簡単に自分でも作ってみれる。
などなど。
そして、それらは誰でもできるような簡単な易しいもの。なぜならば、「老化予防」のためには、自分が主体にならなければならないから。
しかし、それでも「生きている証明」や「日々の励み」にもなるのだ。
それでいいじゃないか。
『青空のホームページ』の内容は、一口に言って「軽・薄・短・小」の世界をすべて含んでいる。
つまり、自分でも簡単に作曲できるような軽い音楽。
芸術的には薄いが、簡単にできる絵やデジカメ写真。
短い詩、例えば短歌や超簡単な新句(十九音)。
小説もどき、それは簡単に自分でも作ってみれる。
などなど。
そして、それらは誰でもできるような簡単な易しいもの。なぜならば、「老化予防」のためには、自分が主体にならなければならないから。
しかし、それでも「生きている証明」や「日々の励み」にもなるのだ。
それでいいじゃないか。
注文のない料理店、多い現実。
駅前の食堂街。料理店をやめるところが多い。そして、しばらくは空き家。
しかし、やがて同じような食堂が開店。同じことの繰り返しである。
いっぽうでは、大手のチェーン店が入る。その場合は、なかなか閉店にはならない。最初、誰も入っていない店も、しばらくすると大繁盛。
客の流れを見ていると、まったくダボハゼ的。
私は、禁煙をしている店で、食材が安全そうな店だけに行く。うまいという評判の店でも、危ないと思えば行かない。
「注文の多い料理店」は、客の注文が多いのではなく、店側の注文が多いのである。その注文とは、「食材などにかまわない」「おいしければよい」「安ければ危険なものでも黙って食べる」などなど。
駅前の食堂街。料理店をやめるところが多い。そして、しばらくは空き家。
しかし、やがて同じような食堂が開店。同じことの繰り返しである。
いっぽうでは、大手のチェーン店が入る。その場合は、なかなか閉店にはならない。最初、誰も入っていない店も、しばらくすると大繁盛。
客の流れを見ていると、まったくダボハゼ的。
私は、禁煙をしている店で、食材が安全そうな店だけに行く。うまいという評判の店でも、危ないと思えば行かない。
「注文の多い料理店」は、客の注文が多いのではなく、店側の注文が多いのである。その注文とは、「食材などにかまわない」「おいしければよい」「安ければ危険なものでも黙って食べる」などなど。
身の回り、整理・整頓、ぼつぼつしよう!
そのためには、持ち物を整理したり、部屋を片付ける必要がある。
しかし、その前にこのブログやホームページである。だらだらと続けてきて、何ともみっともないものをさらけ出してしまったからだ。
今までは、何とかして社会のお役に立とうと「健康」や「老化予防」、そして「安心立命」などの問題を考えてきた。しかし、そのようなことに関心をもっている人は、あまり多くないようである。
むしろ、金儲けのほうが関心の対象である人が多いのではないか。
私は、いままでの生き方から金儲けにはまったく自信がない。つまり、その観点からは「人生の落伍者」なのである。
したがって、あまり社会のお役には立たないであろう。
そんなわけで、自分自身の身の回りの整理・整頓だけでも、ぼつぼつしようと思う。
そのためには、持ち物を整理したり、部屋を片付ける必要がある。
しかし、その前にこのブログやホームページである。だらだらと続けてきて、何ともみっともないものをさらけ出してしまったからだ。
今までは、何とかして社会のお役に立とうと「健康」や「老化予防」、そして「安心立命」などの問題を考えてきた。しかし、そのようなことに関心をもっている人は、あまり多くないようである。
むしろ、金儲けのほうが関心の対象である人が多いのではないか。
私は、いままでの生き方から金儲けにはまったく自信がない。つまり、その観点からは「人生の落伍者」なのである。
したがって、あまり社会のお役には立たないであろう。
そんなわけで、自分自身の身の回りの整理・整頓だけでも、ぼつぼつしようと思う。
悪い箇所、あげればキリがないくらいある。
ここのところ、いろいろと身体に問題が出てきた。
高血圧
高血糖(糖尿病)
腰痛
膝痛
目
歯
頭痛持ち
結石(腎臓)
など。言ってみれば「病の器」で、お恥ずかしい次第。
しかし、「踵(かかと)のひび割れ」は昨年から直ったみたい。冬に素足・サンダルで、歩かなくなったせいであろう。
ここのところ、いろいろと身体に問題が出てきた。
高血圧
高血糖(糖尿病)
腰痛
膝痛
目
歯
頭痛持ち
結石(腎臓)
など。言ってみれば「病の器」で、お恥ずかしい次第。
しかし、「踵(かかと)のひび割れ」は昨年から直ったみたい。冬に素足・サンダルで、歩かなくなったせいであろう。
ガタガタになりたる身体(からだ) 慈(いつく)しみたり。
長く使い続けて、ガタガタになってしまった自分自身の身体を、何となく哀れに感じるときがある。ずっと気にしなかったことだが、身体はあたかも乗り物のようなもの。それが、最近になって調子が悪い。
おそらく、二年前の入院・手術後にホメオスタシスが狂ってしまって、フィードバックが効かなくなったのだろう。使い古した廃車寸前の車のような状態。その後ずっと通院をしているものの、何となく気分が優れず、憂鬱な日が続く。
仏教の話に、長年連れ添った三人の夫人の話がある。それは、普段から目立たなかった第三婦人だけが、最後まで一緒に行くという内容。そして、それを私は自分自身の身体だと考える。
つまり、健康で調子のよいときは忘れていて、ふだんからあまり注意をしていなかった部分である。反省は、しているのだが、……。
長く使い続けて、ガタガタになってしまった自分自身の身体を、何となく哀れに感じるときがある。ずっと気にしなかったことだが、身体はあたかも乗り物のようなもの。それが、最近になって調子が悪い。
おそらく、二年前の入院・手術後にホメオスタシスが狂ってしまって、フィードバックが効かなくなったのだろう。使い古した廃車寸前の車のような状態。その後ずっと通院をしているものの、何となく気分が優れず、憂鬱な日が続く。
仏教の話に、長年連れ添った三人の夫人の話がある。それは、普段から目立たなかった第三婦人だけが、最後まで一緒に行くという内容。そして、それを私は自分自身の身体だと考える。
つまり、健康で調子のよいときは忘れていて、ふだんからあまり注意をしていなかった部分である。反省は、しているのだが、……。