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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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フラフラとすることもあり、加齢のためか?

何となく足下が頼りなく、フラフラとすることがある。古稀を過ぎたころからである。もしかしたら、脳に異常があったり、三半規管が正常に働かないためかもしれない。50年以上も使った身体である。考えてみれば、仕方のないことかもしれない。いちばん困るのは、フラフラとして身体の重心が取れずに、転んでしまうこと。それでも声をかけてくれた人に、「大丈夫です」と言ったり、救急車に乗らなくてもよいとだけは、まだ言えるのである。
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生ビール、飲み干すときの喉心地(のどごこち)よさ。

冷たい生ビールを飲むときの、喉心地のよさは至福である。シェーキーズで「ピッチャー」を飲んだり、サイゼリアで「ジョッキ」を飲むときは、むろんのこと。自宅でキリンの「一番搾り」を飲むときも同じ。一杯目を喉ごしにするときは、また格別。その瞬間に、自分は幸せだと思う。たかがビール一杯で、幸福感が得られるのはなぜであろうか。宗教も、宗派によってはアルコールを禁じているところがあるらしい。
朝飯は、生米と生水、生ビール。

妻の勤務の関係で、朝は5時くらい。それからパソコンをするのであるが、ちょっと腹が空く。そこで、朝飯。ふつう、生玄米をコーヒーミルで挽いて粉状にして食べる。一合カップ3分の1くらい。ゴマやシラス干しをかける場合もある。そして、生水。生水は多く飲めない。そこで、「キリン一番搾り」の出番。喉ごしに、ぐいぐい。すでに地下水のような清冽な水は、現実には飲めないのだ。ビールの原料である水は、天然水に近い良質な水である。
昔から、キャベツとタマネギ、胃腸の薬。

昔から、キャベツとタマネギは、胃腸の薬と言う。そこで、何とかして日々それらを食べていきたい。いずれも野菜で、それほど値段の高いものではない。そこで、私はうどんやソバの中に入れて、煮込んでしまう。砂糖は台所に置いてないので、外食でコーヒーを飲んだときのものを持ち帰って使う。すると、ほのかな甘さの中に、キャベツやタマネギの味が、素晴らしい。砂糖や調味料を台所に置かなくなって久しい。
衰えて外出できず、ただ考える。

老いが始まって衰えたために外出が不自由になると、部屋で考える時間が増える。ただ「考える」と言っても、行動がともなわないので突飛(とっぴ)なことも多い。単に、空想の域を出ない夢のようなことを現実に考えるのである。そもそも夢は、脳が昼間になしたことを整理するためにあるらしい。私は考えること自体が記憶の整理だと思う。『パパラギ』という本に「考えるという重大な病気」というくだりがあった。
キリのないことはやめよう、もうこの辺で。

際限なく続くようなことを情熱をもってする。若いころの趣味などは、それでよかった。しかし老いてくると、いくら集めても仕方のないことである。例えば、図書などは集めてみても、読み返す時間がない。つまり、自分には必要のないことをしているのである。また、たいがいの図書館に行けば、その本がある。さらに、インターネットで検索をすれば、かなり貴重な知識が居ながらに見れる。そんなわけで、ぼつぼつ人生の時間を有効に使いたい。
することを減らしていこう、老いたるが故。

若いころは、「あれもしたい、これもしたい」などと思った。今でも思わないわけではないが、体力が衰えたので、それはムリだとわかった。そんなわけで、まず日々の基本的なことだけをしっかりとしていこうと考える。つまり、衣食住である。着物は最低限でよい。冬の寒いときは、夏物を重ねて二枚着る。食べ物は玄米にして、最小限の品目。そして、生水とビールを飲む。むろん、清浄な空気を吸う。そんな質素な生活が、この歳になって始まった。
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