忍者ブログ
rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
ブログ内検索
ご案内


現在、このプログではコメントなどを受け付けていません。
お恥ずかしい個人的な内容が多いからです。それでももしも、ご意見やご質問があればここから願います。


似顔説明

[313]  [314]  [315]  [316]  [317]  [318]  [319]  [320]  [321]  [322]  [323
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

忙しげに(せわしげに)鳴く蝉ありて、秋は来にけり。


つくつく法師である。
私は、毎年つくつく法師が鳴くのを聞くと、秋の気配を感じる。
「かなかな」と鳴く蜩(ひぐらし)よりも、この声高(こわだか)に「おうしん、つくつく」と鳴くつくつく法師のほうが、何となく寂しく、そして狂おしい。

もしかしたら、反対に感じる人もいるかもしれないが。

私は、つくつく法師を聞くと、実朝のことなどを考えてしまう。
大きな船を造ったものの進水ができなかったり、暗殺をされる予感をもちながら過ごした焦燥の日々。

そして、短歌などに情熱を傾けざるを得なかった将軍職。
『東鑑(あずまかがみ)』に書いてあることが、何となく気の毒になってくる。
……
PR
何故か? 餓鬼のごとくの日々の饑さ(ひだるさ)。


どうしてだろうか?
ここのところ、馬鹿に腹が空く。食べないとひもじくなってしまう。
以前は、一日ぐらい食わなくても平気だったんだが。

おそらく、体内に住み着いたパラサイトが横取りをするせいであろう。
パラサイトも大量になると、ものすごく栄養を必要とするらしい。

昔から「腹の虫が治まらない」などというのは、心理的なことでなく、実際に体内で行われていることではないだろうか?

そこで、大食いをする。すると、しばらくはOK。
しかし、インシュリンが不足しているので、尿糖が出てしまう。
何とも、困ったことだ。
名人の棋譜(きふ)見て楽し、岡目八目。


岡目八目という言葉がある。
「おかめはちもく」と読むのだが、「岡目」は「傍目」と書くこともある。意味は、「やっている本人よりも他人のほうが、物事の是非がよくわかる」ということ。
囲碁を観戦している者は、実際の対局者よりも八目(はちもく)先の手まで読めるということらしい。

私は、囲碁でなく将棋が好きになった。
『青空の入門・創作ページへようこそ!』にある「ゲーム入門」の「将棋」のお陰である。

名人や有段者の勝負をテレビで見ていて、「ここに打てば、いいな?」と思うと、たいがいそうなる。岡目八目である。

政治や経営、戦争、そしてスポーツの試合や音楽の演奏などの批評は、自分の能力の10倍くらいまでできるという。したがって、物言いは簡単である。
実際にするのではなくて、……

何故か? 夏の疲れが激しく残る。


今年の夏は、とても暑かった。
それでも、九月の半ばになると凌ぎやすくなる。すでに、秋になったみたい。

でも、身体がすっかり疲れてしまった。
昨年の夏は、10日間ほど入院・手術をしたが、疲れなどはなかった。
今年は、その後の経過がよくなく、抗生物質を飲んでいるせいか、何となく困憊(こんぱい)気味。

やはり、身体の中にパラサイト(寄生体)がいて、それに多量の栄養を横取りされてしまうためだろうか。

しかし、多くの人が私のような状態になっているという。保健所の係官が話してくれて知ったことだが、100万人くらいの人が治療をしないまま、どうしようもなくなってアウトになっちゃうらしい。
クラジミア・クリプトコッカス、血液に住む。


クラジミアやクリプトコッカスは、血液に住むパラサイト(寄生体)である。
したがって、私たちの血液中の栄養分をかすめ取る。その分量は、決して少なくない。やがて、本体がアウトになってしまうほど。エイズなどと同じである。

社会保険関係の人たちが寄生虫のように多く横取りすると、取られた本人たちは大変なことになる。つまり、横取りされて身を滅ぼしてしまうのである。

恐ろしい菌であるから、早めに何とかしたい。抗生物質を飲んで退治をするのであるが、身体が不調になるという問題もある。

血液は血管を流れているのだが、大動脈から毛細血管、さらにはグルミューに至って心臓にふたたび戻るまでは、何と地球の二周半もあるという。

そのようなことについて、

rikの「クラミジアなどを排除する血液浄化法」

に、独自な見解をまとめようとしている。





お互いに利害関係、反して敵に。


最初から悪い人は、意外に少ない。それが、何らかの拍子に相手が敵や悪人になる。人と人との関係は、そんなものらしい。
さらに、国と国の関係も同じパターンを辿る(たどる)。

親が死んで財産の問題から、兄弟が争うなどということは、まったくバカげている。しかし、そのような事例は思ったよりも多い。また、お互いに親しくしていたと思ったら、たちまち喧嘩である。
『徒然草』にも、

 <世に從へば、心外(ほか)の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに隨ひて、さながら心にあらず。人に戲れ、物に爭ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。そのこと定れることなし。分別妄(みだ)りに起りて、得失やむ時なし。惑(まど)ひの上に醉へり、醉(よい)の中に夢をなす。走りていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。>

という記述があった。

久々に大食いをして、至福の時間。


腹がいっぱいになると、何となく幸福である。
しかし、インシュリンが不足になりがちなので、尿糖がなかなか戻らない。そこで、幸福ではあっても、「ダモレスクの剣」のような先行きの心配が生じる。

もともと、「心地よさ」が人生の目的のようだ。
教育や倫理などで、私たちは幻影をいだく。
そして、存在をしない目的に猪突猛進する。空しいことである。あたかも、ドン=キホーテが水車を悪魔と錯覚したように。

「生死」「取捨」「有無」などをまとめた概念として扱うと、価値観がちょっと変わってくるかもしれない。抗生物質を飲んでいると、気力がなくなって、何となく目的を失ってしまったのかもしれないが、……。

忍者ブログ [PR]