rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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八月も過ぎ去りてゆき、余命幾ばく?
八月には終戦記念日があったり、私の誕生日がある。
暑い日が続いて、身体には堪える(こたえる)月でもある。
それでも、あっという間に過ぎてしまった。
そんな中、血液の中に化学物質や病原菌が入ってしまったらしく、ここのところずっと病院がよい。
きょうも、通院である。
結果が思わしくないので、何となく心細い。
抗生物質を続けて飲むわけであるが、副作用が出てしまって、思うようには快癒しないようだ。
最近は、ほとんどの人がすでに私のような状況になっているとのことである。そんな人が、日本国内に100万人もいるという。
そんなわけで、「青空の入門・創作ページ」の「健康入門」にまとめているところだ。
八月には終戦記念日があったり、私の誕生日がある。
暑い日が続いて、身体には堪える(こたえる)月でもある。
それでも、あっという間に過ぎてしまった。
そんな中、血液の中に化学物質や病原菌が入ってしまったらしく、ここのところずっと病院がよい。
きょうも、通院である。
結果が思わしくないので、何となく心細い。
抗生物質を続けて飲むわけであるが、副作用が出てしまって、思うようには快癒しないようだ。
最近は、ほとんどの人がすでに私のような状況になっているとのことである。そんな人が、日本国内に100万人もいるという。
そんなわけで、「青空の入門・創作ページ」の「健康入門」にまとめているところだ。
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親が親なら子も子、師が師なら弟子も弟子。
一字余りの句である。十音目の次で読点「、」、続く十音が一音の字余り。
そんなわけで、ちょっと言葉のリズムと響きが悪い。
最近は、躾(しつけ)がなっていない。そんなわけで、「身」が美しくない。
子どもは、驚くような犯罪を次々とする。しかし、本人が後で何をしたかわかっていない有様。考え方が身勝手で、支離滅裂なのだ。
また、弟子が師の指示などは聞かない。相撲でも、伝統などは関係なく、ただ強くあればよいと考えるのであろう。意外にお粗末である。
もっとも、日本はかつてモンゴルという国の属国か、一つの州になりかかったことがあるから、仕方がないのかもしれない。
芥川龍之介が(赤ちゃんとして生まれたその日)「親子になったときから、人生の悲劇が始まる」、そして吉田松陰は(後で後悔をするから軽々しく)「誰かの師になってはいけない」というようなことを言っている。
一字余りの句である。十音目の次で読点「、」、続く十音が一音の字余り。
そんなわけで、ちょっと言葉のリズムと響きが悪い。
最近は、躾(しつけ)がなっていない。そんなわけで、「身」が美しくない。
子どもは、驚くような犯罪を次々とする。しかし、本人が後で何をしたかわかっていない有様。考え方が身勝手で、支離滅裂なのだ。
また、弟子が師の指示などは聞かない。相撲でも、伝統などは関係なく、ただ強くあればよいと考えるのであろう。意外にお粗末である。
もっとも、日本はかつてモンゴルという国の属国か、一つの州になりかかったことがあるから、仕方がないのかもしれない。
芥川龍之介が(赤ちゃんとして生まれたその日)「親子になったときから、人生の悲劇が始まる」、そして吉田松陰は(後で後悔をするから軽々しく)「誰かの師になってはいけない」というようなことを言っている。
捨てるのは惜しくもあるが、あえて行う。
いただき物をすることもある。
しかし、食べ物に関しては注意をしているために、せっかくではあるが捨ててしまうことが多い。
ハムや佃煮(つくだに)、そしておみやげにいただく各地方の珍味など。
もったいないと思うが、どうもそれらを食べる気がしない。そうかと言って、それを誰かに差し上げるのは、やはり失礼であろう。
なぜならば、自分が健康によくないので不要だから、それを知っていて、そのことを知らない人にさせるのは、えじょうの言う「ほう居士の故事」と同じ。
ほう居士は仏道に入ろうとしたときに、家財道具すべてを車に積んで、海に運んで捨てた。誰かが、布施に用いたらと注意をしたら、
「自分が持っていて、自分のためにならないと考えたものは、やはりその人にもよくないであろう。」
と答えたという。
いただき物をすることもある。
しかし、食べ物に関しては注意をしているために、せっかくではあるが捨ててしまうことが多い。
ハムや佃煮(つくだに)、そしておみやげにいただく各地方の珍味など。
もったいないと思うが、どうもそれらを食べる気がしない。そうかと言って、それを誰かに差し上げるのは、やはり失礼であろう。
なぜならば、自分が健康によくないので不要だから、それを知っていて、そのことを知らない人にさせるのは、えじょうの言う「ほう居士の故事」と同じ。
ほう居士は仏道に入ろうとしたときに、家財道具すべてを車に積んで、海に運んで捨てた。誰かが、布施に用いたらと注意をしたら、
「自分が持っていて、自分のためにならないと考えたものは、やはりその人にもよくないであろう。」
と答えたという。
タイミング、事件の話題、マッチしている。
ちょっとわかりにくいかもしれません。
事件が発覚したり、問題が生じるタイミングは絶妙です。
内部告発が原因とも言いますが、私はそれ以前に、何となく何者かの意思を感じるのです。
つまり、あらかじめ仕組まれたことのような気配を感じざるをえません。
宇宙そのものさえも、人間に見られるための意思をもっていると言います。ホーキングが言っている「人間原理」なのです。
また、ホーキングは次のようにも言っています。
<我々は過去を記憶することはできる。しかし、未来を記憶することはできない。>
ここで「我々」ができなかったりすることでも、「何者」かはすべてができるなどとは、言っていませんが、……
ちょっとわかりにくいかもしれません。
事件が発覚したり、問題が生じるタイミングは絶妙です。
内部告発が原因とも言いますが、私はそれ以前に、何となく何者かの意思を感じるのです。
つまり、あらかじめ仕組まれたことのような気配を感じざるをえません。
宇宙そのものさえも、人間に見られるための意思をもっていると言います。ホーキングが言っている「人間原理」なのです。
また、ホーキングは次のようにも言っています。
<我々は過去を記憶することはできる。しかし、未来を記憶することはできない。>
ここで「我々」ができなかったりすることでも、「何者」かはすべてができるなどとは、言っていませんが、……
耄碌(もうろく)とアルトハイマー、致し方なし。
「耄碌」という言葉は、ちょっと古いかもしれません。
最近になって、「度忘れ」、「勘違い」、「認知症」などという言葉が、私の回りでも多く使われるようになりました。
いずれも、何となく「老人」、つまり「お年寄り」に使われる言葉のようです。
そして、還暦を過ぎたころから私もそのお仲間入りをしたので、何となく自分が言われているようです。
「アルトハイマー症」に至っては、過去にはあまり問題にならなかったのではないでしょうか。
脳にアルミの微粒子が入って発病をするなどと言われていますが、まだ全治させる特効薬がないそうです。
平均寿命が延びているので、仕方のないことなのでしょうか。
「耄碌」という言葉は、ちょっと古いかもしれません。
最近になって、「度忘れ」、「勘違い」、「認知症」などという言葉が、私の回りでも多く使われるようになりました。
いずれも、何となく「老人」、つまり「お年寄り」に使われる言葉のようです。
そして、還暦を過ぎたころから私もそのお仲間入りをしたので、何となく自分が言われているようです。
「アルトハイマー症」に至っては、過去にはあまり問題にならなかったのではないでしょうか。
脳にアルミの微粒子が入って発病をするなどと言われていますが、まだ全治させる特効薬がないそうです。
平均寿命が延びているので、仕方のないことなのでしょうか。
往き往きて、真(まこと)の世界、そこに安らぎ。
いま、私が勉強をしている『般若心経』である。
独覚(どっかく)というのであろうか、何となく自分なりに「覚り」(さとり)を得た感じだなどと、つい思ってしまう。
それほどまでに、今までの解釈と異なるのだ。
「空」は、「空間があるが、時間のない宇宙である。」と考えた。
つまり、「空」は「無」でもないし、「ゼロ」でもない。
また、「空しい」という意味でもないし、「空」(から)のことでもない。
総文字数262字の中に、「空」が7文字、「無」が21文字も含まれているので、つい勘違いをしやすい。10パーセント以上もの割合だから。
私は、「空」を「生死」(しょうじ)、「取捨」、そして「有無」などの概念を含む「意思や計らいを捨てた」空間だと思った。
いま、私が勉強をしている『般若心経』である。
独覚(どっかく)というのであろうか、何となく自分なりに「覚り」(さとり)を得た感じだなどと、つい思ってしまう。
それほどまでに、今までの解釈と異なるのだ。
「空」は、「空間があるが、時間のない宇宙である。」と考えた。
つまり、「空」は「無」でもないし、「ゼロ」でもない。
また、「空しい」という意味でもないし、「空」(から)のことでもない。
総文字数262字の中に、「空」が7文字、「無」が21文字も含まれているので、つい勘違いをしやすい。10パーセント以上もの割合だから。
私は、「空」を「生死」(しょうじ)、「取捨」、そして「有無」などの概念を含む「意思や計らいを捨てた」空間だと思った。
ぼつぼつと身近な整理、始めていこう!
どうも先行きが、何となく心細くなってきた。
身体の調子がよくないことと、度忘れが激しくなってきたことが、大きな心配の種(たね)。元気でも呆け(ボケ)ちゃうと、もはやアウトだろう。
そんなわけで、身の回りの整理を始めた。
品物はいさぎよく捨ててしまえばよいのであるが、原稿やモチーフなどはそうはいかない。
ホームページに書きかけたことなども、かなりある。
また、作曲をしようと考えて作ったモチーフなども、何とかしたいものだ。
どうせ、大した作品にはならないかもしれない。
しかし、自分自身に対して忠実に「生きた証明」にはなると思うからだ。
どうも先行きが、何となく心細くなってきた。
身体の調子がよくないことと、度忘れが激しくなってきたことが、大きな心配の種(たね)。元気でも呆け(ボケ)ちゃうと、もはやアウトだろう。
そんなわけで、身の回りの整理を始めた。
品物はいさぎよく捨ててしまえばよいのであるが、原稿やモチーフなどはそうはいかない。
ホームページに書きかけたことなども、かなりある。
また、作曲をしようと考えて作ったモチーフなども、何とかしたいものだ。
どうせ、大した作品にはならないかもしれない。
しかし、自分自身に対して忠実に「生きた証明」にはなると思うからだ。