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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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聡明な白川候の奥方選び。


何かで、読んだことがある。
白川候は、奥方を選ぶときに側近に言ったという。
藩の中で、あまり注目をされていないが、賢い女もあろう。容貌などは、問題でない。また、身体が不自由になっていても差し支えない。
そのようなものがいたら、私が娶る(めとる)。
そうすれば、藩の者も私に見習って、目が覚めるであろう。

御殿医が、白川候の藩邸を訪れたときである。
応対に、片足を引きずった年増な女が出てきた。医師は召使いであろうと思って、ぞんざいな言葉で取り次ぎを申し出た。そして、後で聞いてわかったことである。

その婦人は、白川候の正妻であったことを。
そして、それを見抜けずに、自分は愚かであったことも。
何で読んだことだろうか、私の記憶に鮮やかに残っているのである。
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Think(シンク)して、新句作れば、真句なりけり。


これは、いったい駄洒落(だじゃれ)か?
この新句(十九音)は、駄洒落でもかまわない。

原則として、十九音の中に自分の気持ちなどを封じ込めればいいのである。舌足らずでも、仕方がない。いちおう短詞形なので、言葉の制約があるからです。

もしも、言い足りなかったことがあれば、作品の下に10行くらいでメモをしておけばよい。
おそらく、それでも満足には言い切れぬであろう。

言葉には、やはり限界がある。
余韻が残っていても、考えることが、必要であろう。
くねくねとするピアニスト、音色(おんしょく)見事。


山の上のピアノの先生から、音楽会の招待状をいただいた。
そこで、公会堂へ聞きに行った。

プログラムの終わりのほうで、かなり中年の女性のピアニストが、ショパンの曲を弾いた。
ところが、身体を異常にくねくねと動かす。私は、驚いてしまった。
腕を鍵盤上に置くと、どうしても上半身が動く。それが必要以上に動いていて、何となくアクロバットみたい。

もしかしたら、その効果を狙っているのかもしれない。でも、音楽を表現するのに、身体までを必要以上に動かすことはないのではないか。
しかし、音はきらびやかで、美しい響きがしていたのでやれやれ。

私は、もっとシャンとしていたら、その女性が一層美しく見えるのではないかと思った。

きょうもまた至福の時間、吉野家・ミスド。


「あんた、また、しつこいな!」と言われそう。
でも、きょうもまた、そういう気分がするのだから仕方ない。
新句(十九音)では、同じ事を何回も繰り返していいんだ。

吉野家で豚丼、瓶のサントリー・モルツ、そしてミスタードーナッツでホットカフェオレ2杯、エンゼルクリーム、ハニーチェロ、ハニーファッション各1、計3個のドーナット。

いつも、とても幸せだと思う。
ほんとうは、吉野家で肉以外のもの。そして、ミスドで甘くない物。そうあれば、もっといいだろう。
吉野家は、朝いちで行けば納豆定食があるかもしれない。また、ミスドにはカリー・ドーナットがあったみたい。

しかし、なぜか私はいつも上の定番。そして、しばし至福のとき。
己(おのれ)の身、燃やして尽きぬ、蝋燭に似て。


人生は、完全燃焼をしたいものです。
前に、

蝋燭(ろうそく)は、燃え尽きるとき、輝きを増す。

という作品を作りましたが、燃え尽きるときは「ぱっ」と明るくなりたい。なぜならば、持っているものをすべて出し尽くすからです。

元来、人間や動物は一代限りなのではないでしょうか。
野生の動物が、遺産相続で裁判をしたというような話を、私は聞いたことがありません。死んでしまっても、後に問題を残すようでは完全燃焼をしたと言えないのではありませんか。

人間社会の教育のあり方などに、かなりの問題があるようです。
今までのデジカメ写真、整理をしよう!


もしも、五七五七七の短歌でしたら

「写すばかりが、能じゃないから」

などと、続くことでしょう。

短歌には、概して上(うえ)の五七五で情景や心象など何かを言い、下(した)の七七でその理由を言う形があります。

しかし、新句(十九音)では理屈は必要ありません。
「何が、どうした」だけで、十分なのです。さらに、「何が」だけでも、「どうした」だけでもかまいません。

もしも、言い切れなかったら、続けてメモを添えておいてください。
熱帯夜、うつらうつらと寝苦しくあり。


だから、どうというわけではありません。
また、単なる愚痴でもないでしょう。

新句(十九音)では、感じたことをそのままに表現をすればいいんです。
とくに、文学的である必要はありません。
メモや覚えの口調で、かまわないのです。

熱帯夜が暑苦しく、寝苦しいのは言うまでもないでしょう。
しかし、人生そのものが一連の熱帯夜とも考えたらどうでしょうか。

その中にも、冷静になって回りの環境に左右されない日々があるものですよ。そして、そんな日々を繰り返したいものです。
あなたは、いかがでしょうか。
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