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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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考えてみたら吉野家、牛丼でない!


ここのところほとんど毎日、午後2時頃に吉野家で外食。
朝飯を食べない習慣なので、一日で最初の食事である。
そして、牛丼でなく豚丼。それに、瓶ビール(500mlの中ビン)。

私は、とくに肉が好きというわけではない。牛丼がちょっと重いので、味付けの薄い豚丼にする。今は、並(なみ)が280円で食べれるというからでもない。また、その豚丼がおいしいから行くのではないということがわかった。

ここのところ、いつも暑い中を2時間以上も歩いた後なので、喉がとても渇く。そして、無性にビールが飲みたい。その瓶ビールを安心して飲めるところが吉野家。

私の行く他の食堂には生ビールが多いが、瓶が置いてあるところが少ない。
そこで、つい吉野家に足が向いてしまう言うことがわかった次第。

なぜ瓶かというと、生ビールが入っているアルミ製の圧縮タンクやアルミ缶を恐れているからである。アルミを長く摂取すると、人体、とくに脳に悪いダメージをもたらすことはほぼ事実。
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何故か? 眠りが浅く、激しき疲れ。


いつ頃からだろうか?
入院して手術。そして退院をしてから、だいぶ過ぎたころからのようだ。

なぜだろうか?
眠りが、非常に浅くなったためだろうか?
とにかく、激しく疲れるのである。

ここのところ、梅雨が明けて一気に夏になって、蒸し暑い日が続く。もしかしたら、そのためかもしれない。
しかし、秋が来て涼しくなってもこの倦怠感が続くようであれば、やはり体内の血液にウイルスが入ってしまったためと考えざるをえない。

もしかしたら、というよりおそらく、数ヶ月用いたカテーテルから、感染をしてしまったために、身体の負荷が大きくなって、激しい疲れを感じるようになったのかもしれないからだ。

何とか、しなければならない。

呂律(ろれつ)なのか、「つーつーれろれろつーれーろ」?


呂律(ろれつ)とは、言葉を発音するときの調子です。
「呂律が回らない」と言えば、舌がよく動かないために、言葉がはっきりしないことを言います。

もともと、呂律とは古典音楽で旋律や調子のことを言った言葉です。
そこで、兼好法師の「むまのきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいりぐれんどう」ほど複雑ではありませんが、私は

<つーつーれろれろつーれーろ>

の元の意味が知りたいのです。

何かの音楽のリズムと音程を表しているのでしょうか。
もしかしたら、越天楽(えてんらく)?
蓮根(れんこん)は蓮(はちす)の根なり、泥土(どろつち)の中。


蓮(ハス)は、水面で美しい花を咲かせます。
とくに、白い蓮の花は美しくもあり、気高くもあるでしょう。例えば、「白万万」などです。
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の極楽(ごくらく)の記述を思い出してください。

さらに、さかのぼって『法華経』の原名が『正しい教えの白蓮』であることも印象的です。

水上にあって美しい蓮の花。しかし、その根は水中の芥(あくた)の中で育ちます。つまり、泥の中にいても美しい花を咲かせることができるのです。

どうも、思いつきではなかなかうまいことが書けません。
じつは、まだ「れ」と「ろ」で始まる作品がなかったので、「蝋燭は、……」の新句(五十音)とともに、この記事を書いているのです。
蝋燭(ろうそく)は、燃え尽きるとき、輝きを増す。


蝋燭の燃えるのを、じっと見ています。
すると、最後に燃え尽きて消える寸前に、一段と明るく輝きを増します。

私は、お寺などでそれを見ていると、いつも思うのです。
人生も、そうありたいと。

つまり、高齢になって先が短くなっても、何かに打ち込みたい。
例えば、親鸞は八十五歳を過ぎてから、物に憑かれたように執筆をしたと言います。

また、貝原益軒が大著述家としての本領を発揮するようになったのは七十歳からです。主要な著書だけでも99部251巻にもなるといいます。有名な『養生訓』は、死ぬ前年の84歳のときに書かれました。

人生に何となく疲れちゃった私にとっては、羨ましい気力です。

可能性、失いたるは齢(よわい)のためか?


若いころには希望に満ちていた自分が、いつの間にか衰えてしまっている。つまり、希望が次第に小さくなってしまった。

かなりの年齢に達していることを「高齢」とか「老齢」と言い、「年には勝てない」などと言う。
その理由は、年をとると「気力はあっても、体力の衰えはどうしようもない。」からではないか。

「年に不足はない」などとも言うが、「何かするのに、十分な年齢に達している」ということよりも、「長生きをしたので、いつ死んでもよい」などという投げやりの意味に使う。

いずれにしても、歳とともに可能性は減少してしまうようだ。
原因のまだわからない病気が三つ。


私のもっている『家庭の医学』(監修 中尾喜久ほか)という本には、「原因不明の全身疾患」として、

ベーチェット病
サルコイドーシス
免疫不全症候群

の三つが書いてある。

その「免疫不全症候群」が、いわゆるエイズ(AIDS)。ウイルスの一種であるHIVの感染によって生じるらしい。私が診断された血液が異常になった状態が、どうやらそれであるらしい。

本来、私たちの身体は、病原体の侵入に対して免疫機能があるのだが、免疫機能が低下すると感染への抵抗力も弱まる。それには、多くの原因があるので「症候群」と言う。

何とかして、身体を元の状態に戻して、免疫の機能を取り戻したい。
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