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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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蛇の皮、蝉の脱け殻、空しくもあり。


小山田緑地の林道を歩いていると、蛇の皮や蝉の脱け殻を見かかることがあります。いずれも、木に引っかかっているのですが、蛇は脱皮をして一回り大きくなったのでしょう。また、蝉は地中の生活から地上に移った後で、飛べるようになるために殻を脱ぐのでしょうか。

いずれにしても、変身と言えるでしょう。
蛇は変身をしても、あまり姿に変わりがありません。
しかし、蝉は羽を使って飛べるようになるので、大変身です。

動物の身体は、なかなかうまくできているものと感心をします。
人間は、とくに脱皮などをしませんが、その代わり皮膚の表面から定期的に垢(あか)を落とす必要が生じるのではないでしょうか。
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何事もしばらくすると、慣れて飽きちゃう?


最初は興味をもって始めたことですが、しばらくすると何となく面倒になって、遠ざかっていくようです。飽きっぽい私は、とくにそのような傾向が強いのですが、知人にもっとひどいのがいます。つまり、彼は、人生そのものに飽きちゃったみたい。

能役者で謡曲作者だった世阿弥元清の言葉に、

<初心忘るべからず>

とあります。
それは、「常に最初の意気込みと、物事に対する謙虚さをもって当たらなくちゃダメ」というような意味でしょう。

また、宮本武蔵が言った言葉、

<千日の練習を「鍛」とし、百日の反復を「錬」と言おう。……>

なども印象的ですね。
新句して、あなたも日々の生きる証(あかし)を!


だいぶ前に、

五七七、あなたもやって、生きる証(あかし)を!

という句を作りました。

その後、五七七ではなく「新句」とするほうがよいと考え、この句を作ったのです。しかし、最初は「新句」ではなく「真句」を考えましたが、他の短詞形に対してちょっと厚かましく、また「Think」などとするのもキザっぽく、またサギっぽいようなので、単純なこの「新句」に相成り(あいなり)ました次第。

しかし、名前は変わったものの目的の主旨や中身はまったく同じです。
とても簡単です。
あなたも、やって確かめてごらんになれば?

最近は、イタリア料理大好きになる。


「肉や魚を食べない。」「油っこい料理は食べない。」「ベジタリアンだ。」
などと言っていたが、最近はちょっと違う。

入院・手術をして、その後ちょっと具合が悪い。カテーテルから院内感染をしてしまい、体力が維持できないのだ。そこで、ベジタリアンを撤退。肉や魚も食べる。そして脂っこいものや、油っこいイタリア料理もOK。

先日、吉祥寺の武蔵野公会堂にある「TRATTORIA Piccina」で臼井さん、高守さんと食べたイタリア料理1500円のコースはおいしかった。

また、きょう妻といっしょに仙川の「Cafe Jr. ITALIAN TOMATO」で食べたイタリアン・モーニングも、とてもおいしかった。

ベジタリアンなどと言っていた日々が、今となってはバッカみたい。


人生は、欲求の追求? 愚かなりけり。


「金が欲しい」「物が欲しい」「恋人が欲しい」などと言って、次々とがんばるのが人生のようです。
とくに若いときには、際限がありません。

しかし、老いてくると違ってきます。
キリがないということを知ったからでしょうか。

そんなわけで、老いると欲望が少なくなるのがふつうです。
しかし、老いてますます物欲が増す人もいるので、驚きです。

また、老いてなお勝負をする意欲がある人もいます。
しかし、老いたら内面的な問題をクリアして、「生きている証明」をなすべきではないでしょうか。
考えてみれば、さほどに要(い)るものはなし。


考えてみると、身の回りには「どうしても必要だ」というものは、あんがい少ないようですね。
身近に、使わない物、活用をしていないものが、かなりあるからです。
また、不要なものが多すぎるようでもあります。

しかし、不要なもの、活用をしていないもの、使わない物なども、求めるときは考えが違いました。

私は、「吾唯足知」(われただたるをしる)という蹲い(つくばい)に書かれているデザインを思い出します。そして、その「口」を他の四つの文字が共用している姿勢などに、まったく感心させられるのですが、……

思い出とともに生きゆく、寝たきりの老い。


これは、ある先輩のことについてです。つまり、その先輩をテーマにした私の作品なのです。

その人は、すでに歩行が不可能になってしまいました。病院へ行くときなどは、お子さんに車椅子を押してもらいます。

記憶も薄らいでしまって、何となく生気がありません。
そこで、私は思い知らされた次第。

寝たきりの老いが、いかに問題であるか。
また、なすべくもない日々が、いかに無意味になってしまうか。

そんなために、症状が軽いうちから「生きている証明」のために、新句(十九音)を始めるのがよいでしょう。
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