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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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パソコンが一台あって、楽しみ無限。


パソコンが一台あって、インターメットにつなぐと、私の楽しみは無限に広がります。いろいろなことが、できるようになるからです。

このようなメールの他にも、ホームページやブログなどがあって、

 『RKOホームページへようこそ!』

 『青空の入門ページへようこそ!』

 『青空の創作ページへようこそ!』

などが、その見本です。
皆さんも、ぜひやってみてください。
工夫をすると、さらに面白くなるでしょう。
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名人といえども、駒は同じに動く。


将棋を見ていると、名人や有段者でも駒の動きや機能は同じ。
桂馬が五つ先に飛んだり、飛車が斜めにいくつも進んだりはしません。やはり、私たちの考えたとおりの動きをするのです。

むろん、各駒の動きの範囲の中で、いくつかの駒が有機的に関連づけられて機能するようです。

先日テレビで、羽生(「はにゅう」でなく「はぶ」)名人が深○(「ふかや」ではなかったか)挑戦者とやって負けた試合を見ました。やはり、駒の動かし方は私の知っている範囲でしたが、実に上手な動かし方です。

また、守り方も離れた駒でさえ、実に宏闊で狡猾、絶妙で軽妙です。
さすがだと思うとともに、学ぶことが多くありました。

フランスのエビアンという水は、「生水」?


日本で作られ、売られているペットボトルは法令で加熱殺菌を義務づけられています。
しかし、フランスから輸入している水で源水のままのものがあります。そのために、ときどき腐敗をしたりして、問題になりますが、……

人間は何万年という間、生水を飲み続けてきました。
化学薬品や甘み入りの清涼飲料水などは、用いなかったはずです。

現代人にガンが多いのは、もしかしたら「生水」を飲まなくなったのが原因ではないでしょうか。

もはや水道水にしても、いわゆる生水ではありません。
つまり、私たちの回りに生水が非常に少なくなってしまったのです。そこで、生水を作る必要が出てきました。

何回も、同じ(おんなじ)ことを言うのはバカか?


日々の生活でたびたび同じ事を反復して言うと、バカにされます。
しかし、そうでしょうか。
人間の生活には、かなり同じことを連続している事実が多いからです。例えば、呼吸・心臓の鼓動・食事・排便などです。

また、四季の生活パターンなどにも、同じことの繰り返しがあります。
旧約聖書の『伝道の書』を読むと、すべて過去からの反復というような内容が書かれています。

だから、「言う」ことについても反復があっても当然です。
私には、「空(くう)なるかな空」と言われることが、宜(むべ)なるかなと思われる所以(ゆえん)です。

三木茂さん、こんにちは! お元気ですか?


「これが短詩だと言えるか?」と言われそうです。
しかし、五七七では作品として立派に成立します。秀作とは言えないまでも、完全な作品なのです。

このように、五七七は自分自身が「生きている証明」を具現して、相手があればその相手に対して呼びかけて「何かを問えばよい」のです。

相手が、必ずしも人間である必要はありません。
動物や植物、さらには生物でないもの、例えば石や水であってもかまいません。さらに、風のように形のないものでもいいんです。

そんな例えに、三木茂さんのことを歌った五七七を引用にして、三木さんには、すみませんでした。
初蝉(はつぜみ)を聞きつつ、なぜか故郷を思う。


初蝉が鳴くのを聞くと、なぜか幼いころに住んでいた故郷のことを思い出します。断片的なことですが、連想が次々と起こってくるのです。

もしかしたら、幼心に何かを考えたときに、単に蝉が鳴いていたのかもしれません。でも、場所なども特定されて、私にとっては具体的な事象の中にいたことがわかるのです。

しかし、今となってはその場所を訪ねて確かめるわけにもいきません。なぜならば、その場所はすでにないからです。

したがって、「幾歳(いくとせ)故郷(ふるさと)来てみれば……」というようなこともないでしょう。
不愉快な思い出ばかり、よみがえりきぬ。


本当は、楽しい思い出に浸り(ひたり)たいところです。
ですが、不愉快なことばかりを思い出すのは、なぜでしょうか?
どうやら、それは経験をリフレッシュさせるためらしい。

そうすることによって、同じ轍(てつ)を踏まないようにさせているのではないでしょうか。人間が賢くなって、生き残るように遺伝子に組み込まれているのかもしれません。

それはともかく不愉快な思い出は、言うまでもなく楽しいものではないですね。何とかならないものでしょうか。

私は、そんなときには考えを別に移すために、パソコンでゲームなどを始めるのです。
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