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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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自殺した姉の愚かな哀れさがあり。


義姉が8月19日に自殺をしてから、ほとんどの手続きが何とか終わった。私は、その日に自殺をしたのだとわかったが、後のスケジュールに関係するので、言わなかった。死体検案書にも「敗血症」と書いてあったし、警察も気付かなかったからである。

その後、荷物を片づけて、姉の自筆ではないが証拠書類が出てきた。だから10月5日に、そのことを多摩警察署の担当警部に話した。すると、すっかり納得をされた。義姉の場合は、いわゆる「引きこもり」で自殺行為であったと考えてはいたが、その証拠を見て、はっきりした原因がわかったと言う。

自分自身が出られなくなってしまったことについて、私は井伏鱒二の『山椒魚』を思い出した。自分自身の変化には気付かぬままに、洞(ほこら)から出られなくなってしまったのである。また、教会の人たちや警察官の立ち会いで、ドアを開けてびっくり。足の踏み場もないほど、玄関に内側からものが置いてあって、死体を運び出すのにも一苦労。さらに居間のほうは、立錐の場所もないほど、ものが貯め込んであった。そんなことで、義姉が自殺をしたことが、すぐにわかったのであるが、私は黙っていた。
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独りでは死ぬに死ねない手続きがある。


だらしのない人が死んだら、後の人が大変である。義姉は愚かで、けじめのない人だったので、部屋の荷物搬出に50万円以上もかかった。また、二年前(平成22年)からの未納保険料45,600円も残っていた。それらすべて、私が支払ったのである。

また、死んだら社会保険事務所にその届け出をする必要がある。しかし、本人が届け出ることはできない。ふつう、家族の誰かが届けるのであろう。もっとも、届け出をしないで、振り込まれる年金をちゃっかり受け取ってしまう詐欺事件がある。かなりしてから発覚をして、返還をすることになる。

義姉が死んだので、府中の社会保険事務所に行った。しかし、一時間近く待たされたので、届け出をやめてしまった。面倒なので、そのままにしておこうと思う。後で利息を付けて返却をする必要が出てくるかもしれないが、本人は死んでいるので誰が償うのであろうか。

教会の神父たちにも、いろいろとあり。


義姉(ぎし)は、義理の姉のこと。妻または夫の姉である。私の場合は「妻の姉」に当たる。兄の妻なども言う。さらに血縁関係はないが、姉妹の約束を交わして姉としている人など。

その義姉は、久しくクリスチャン。いろいろな神父と親しくしていたみたい。死んだときに、非公式なミサをしてくださった方が二人もいたらしい。義姉はもともと学問もなく、愚かで聖書の勉強などもしていない。それでも、教会では大切にしてくれた。

もっとも、相模原の淵野辺におられたフランスの神父さんは、はっきりと「姉の無学と不勉強」を指摘して、アドバイスをしてくれた。しかしその後、義姉は行かなくなってしまった。その神父さんについては、私を先生と呼んでくださる開業医をしている方から聞いた。その人が、フランスに留学しているときに、その神父さんと親しかったという。
だいぶ前、姉の愚かで、犬目騒動。


舌足らずで、何のことかわかりにくい。犬目は、八王子にあるカトリック教会である。義姉が突然に、教会に入りたいと言い出した。まだ、母が元気なころで、母が娘である姉の面倒を見ていたころのこと。

母をおいて出て行くというので、兄弟中から「無責任だ」という意見であった。それでも、最終的に義兄が母の部屋を作って、母の面倒を見るということになった。

しかし、姉の計画は実現しなかった。つまり、シスターにはなれなかったのである。掃除婦や賄い婦ならば、なれたのであるが、さすが姉の無学と不勉強では、教会もシスターとして引き受けるわけにいかなかったようだ。そして、兄弟たちが呆れたが、姉と母との生活は母が死ぬまで続いたのである。


死んでみて、いろいろわかる手続きがある。


ふつう大人が死ぬと、社会保険事務所に年金の支払い停止の届け出を出すなど、誰かがしなければならない煩わしい届け出がたくさん残る。

市役所などに届ける死亡届は、必ず必要である。そうしないと、死体の火葬ができないからである。

その他、独り暮らしの場合は電気料金の停止などの手続きがある。死んだと言うことは一つの事実であるから、それらをすべて関連して行うこともできるであろう。しかし、現時点の制度では遺族の一人が、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしてしなければならない。まったく煩わしいかぎりである。
葡萄酒とパンの喩えを知らなかった姉。


まだ(義姉と私の妻との)母が生きていたころ。フランス製の高級な葡萄酒をもらったので、そのころ相模原にいた母と姉のところに届けた。そのときに、姉がパンと葡萄酒の喩えも知らなかったので、まったく驚いてしまった。

ルカによる文書(1) 第二十二章19・20節に「パンを取り、感謝を捧げてからそれを裂き、彼らに与えて言った「「これは、あなたたちのために与えられる私の体だ。私の思い出として、これを行ないなさい」 同じように、晩さんの後で杯を取ってこう言った「この杯は、あなたたちのために流される私の血による新しい契約だ。」」とある。

ぶどう酒については、「その子は主の前で、大いなる者となる。ぶどう酒や酔っぱらう飲み物を飲まず、母の胎にいるときから、聖霊に満たされている。」「洗礼者ヨハネがやって来て、パンを食べもせず、ぶどう酒を飲みもしないと、あなたたちは『彼には、悪霊がいる』と言う。」「(よいサマリア人が)彼に近づき、その傷に油とぶどう酒を注いで包帯をしてやった。彼を自分の家畜に乗せて、宿屋に連れて行き、世話をした。」のような三件の記述がある。
つくづくと姉の愚かさ、改めて知る。


義姉の愚かさについては、「ごみ屋敷」や「引きこもり」に関して、これほどひどいとは思わなかった。死んでから、すべてが明確になったわけであるが、まったく異常なほどである。

なぜ、そんなことになったのだろうか。姉は前後見境もなく、生きてきたためであろう。あまり計画もなく、ただその日を送ってきたためかもしれない。

とにかく死後、部屋の掃除をするのに、専門業者を頼んで一ヶ月。部屋が臭いので、数日に分けてせざるを得なかったと言う。いっぺんにすると、作業員の気分が悪くなってしまうためである。いったい、自分自身はどんな生活をしていたのだろうか。
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