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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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古希過ぎてグチってばかり、恥ずかしきこと。


古稀を過ぎたころから、何となく身体の調子が悪い。そこで、何事も消極的。さらに、悪いことにはグチっぽくなってしまった。若いころのようには、自信がないのである。

横井也有の『歎老辭』は、也有が五十三歳のときに書いた俳文『鶉衣(うずらごろも)』の後編にあたる。記述は、かなりショックなもので次のような件(くだり)があった。

<耳もとおくなり、眼はかすみ、四肢のふしぶしは痛むようになってしまいました。老人と話をして、まどろかしく感じたり、また老人をうとましく思ったのは、つい先日のような気がする> つまり、自分自身が老いたことを改めて認識をしたのである。
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「黒蜥蜴」見れば懐かし、明智探偵。


六十年くらい以前のことだが、まだ私が中学生の時代に江戸川乱歩「怪人二十面相」シリーズをよく読んだ。子ども向きの探偵シリーズである。しかし、当時まだ乱歩には、「パノラマ島奇譚」のような大人向けの小説も多かった。

「黒蜥蜴」は、大人向けの小説であったから、中学生のときには読まなかった。つい先日、YouTube動画の「あなたへのおすすめ » 」に9本の動画(1:24:17)の1があったので、すべてを見た。出演には丸山明宏・丹波哲郎・三島由紀夫などとあったが、丹波哲郎と三島由紀夫は誰になって出ているのかがわからなかった。

ストーリが中学生向きではないものの論理の展開などは素晴らしく、それを明智小五郎探偵が解決していく。何となく中学生のときの読んだ緊張感なども思い出されて、素晴らしい映画であった。
Black Lizard (1968)
結論を言ってしまえば、「ヒトは死なない」。


死の定義や脳の機能を明確にしないと、無責任なことは言えない。しかし何となく私には、死んで焼かれて、脳が失われてもすべてが終わりとは考えられないのである。焼かれる前に、脳が機能を失った時点でも同じ。

じゃあ、どういうことかと言うと、死んでもすべてが終わりではないと思うのである。つまり、次元の場から解放されて「気」が残るような気がする。「気」は空間の次元で重力に作用されない。また、時間にも作用されないのである。

簡単に言うと、いわゆる死んだ時点でも「気」が残って、重力に支配されずに、時間や距離を自由に行き来ができるのではないかと思う。
世の中に、不思議なことが数多くある。


いろいろと調べているが、人知では理解できないような不思議なことや不可解なことが限りなくあるようだ。いままでの知識などでは、とても計り知れないようなこともある。

しかし、理屈や常識でなく、生まれもった本能や直感で考えると、何となく理解ができることも多い。例えば、死後の生命などである。

そんなわけで、あれこれと考えたあげく、最終的には自己の本能で考え、感じるしかない。なぜならば、次々と調べていっても、迷路になっていて解決できないことが多いからである。
多次元の空間にいて、気づかずにいる。


われわれは、ふつう四次元の空間にいると考える。前後・左右・上下の三次元と時間一次元を加えた次元である。

しかし、実際にはもう数次元が巧妙に隠されていて、多次元なのである。非常に薄い膜状になっているので、ふつう気づかない。

私は、そのように考えるのではあるが、さらに厳密な意味で考えると時間という概念自体も存在しないことになる。

死ぬことは、脳と意識で違いがあるか?


ふつう死ぬと、すべてが失われるという。つまり、思考をする器官がなくなるからである。それでは、UFOの編隊を思わせるエチゼンクラゲなど脳のない生物は、どうであろうか? また、最近では脳がまったくない奇形児が生まれている。

私が思うことではあるが、脳と意識には違いがあるのではないか。ここで、意識を仮に「気」と言うと、脳と同じように「気」が「痛み」「痒さ」「心地よさ」などを感じているようだ。そして、脳が失われても、「気」の感じは空間に残るのではないか。

つまり、死んで肉体とともに脳が失われても、「気」が残る。その「気」は、ふつう私たちが置かれている四次元空間の他に、精巧に隠されている他の次元に存在しているらしい。そして、もはや肉体のない時点では重力などに支配されないので、時間などの次元には関係がなくなってしまうらしい。
たいがいのことはわかった、遅蒔きながら。


還暦のころから、いろいろなことを考えてみた。すると、いろいろなことがわかった。例えば、生前の生、死後の生などである。

それまでの常識を考えると、驚くような事実が明らかになったのである。そして、そう考えてみると納得ができる。例えば、生前の状態や死後の状態など。そんなことを考えると、もっと早くから対策を立てておいたほうがよかったかもしれない。

とくに、死後の状態は大切である。死んでしまえば、すべてがお終(しま)いであるから、何も考えなくてよいなどと考えること自体が、まったく愚かであることがわかった次第。
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