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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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アヌンナキ、シュメール人に知識与えた?


シュメール文明(シュメール文化)というのがある。シュメール(Shumer・Sumer)は、古代メソポタミア南部の地域名。後に、バビロニアとよばれる地方の北半分がアッカド、ペルシア湾に臨む南半分がシュメールとよばれた。

しかし、この地域にいつごろシュメール人が来たかは不明。古代文明が突然に発祥をしたとは考えられず、二ビル星に住んでいたアヌナンキから伝えられたのかもしれないという。

そのようなことを考えると、妥当かもしれないが、時間と距離の問題が残る。もしかしたら、時空そのものが人間の考えているようなものではないのかもしれない。


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無関心、興味や趣味が異なるためか?


「理工式健康法フォーラム」という健康関係のサイトを作った。しかし、どうしたことか思ったようには投稿する人がなかった。

健康に関することだから、誰にでも必要な情報と考えたが、人数が増えない。したがって、個人差に関する意見も集まらない。FacebookページにTabSiteで作成したホームページであるが、かなりメンテナンスに手数がかかるので、そのタイトルと投稿ページだけ残して削除してしまった。

まちまちな意見でも、お互いに参考になったり、自分自身の価値判断の材料になる。そんなことで、本当は病気や症状について、データを集めておくのがよいと思うのであるが、……
引きこもり、食う・寝る・休む、ダメになるかも?


ここのところ何となく体調が悪く、遠出ができない。いわゆる引きこもりの状態が多くなった。部屋に居て、食う・寝る・休むの繰り返しである。もっとも、食事が面倒なので、外食に出ることはある。

五分以内で、吉野家や松屋に行けるので便利。また、それらの店は料金が安く、何となく安全なので利用する。

私は、年金生活者で公団の賃貸住宅に住んでいる。しかし、テレビのドキュメンタリーを見ていると、生活保護を受けずにホームレスになってしまうケースが多い。つまり、私の生活はホームレス寸前と考えてよいのである。
HTML5、やればやるほど、わからなくなる。


ぼつぼつ新しいパソコンを買おうと思う。現在のstudioXPSから性能をアップするためである。

新しい機種には、現在と同じくOfficeを入れない。さらに、今までお馴染みのホームページ・ビルダーなども面倒なので入れないつもり。したがって、今後ホームページの作成やメンテナンスは、メモ帳でしなければならない。

総トップページについて」で、画像の貼り付けとURLの貼り付けを基本的なテストとしてやってみた。何となくできたので、他の基本的なことをマスターしていきたい。しかし、やってみるとどうもわからなくなってしまう。
昔から生老病死は避けられぬこと。


四苦八苦(しくはっく)という言葉がある。仏教における苦しみの分類で、生老病死を四苦、さらに愛別離苦(あいべつりく=愛する者と別れる苦しみ)、怨憎会苦(おんぞうえく=怨んだり憎んでいる者と会う苦しみ)、求不得苦(ぐふとくく=求ていめる物が得られない苦しみ)、五蘊盛苦(ごうんじょうく=あらゆる精神的な苦しみ)の四苦に加えて、八苦である。

最初の四苦についても、生はともかく老病死は恐ろしい。シャカが若いとき、四門出遊して目(ま)の当たりに見て悩んだことも、何となくわかる。老いから病、そして死に到る。学会に研究を発表して博学であった大岩先生も、北原白秋の弟子であって才媛と言われた三木先生も、やはりそうだった。

私は、老病の過程にあるので、身の回りの整理している。年金生活者であるから、ムダなことはしない。公団の賃貸住宅に住んでいるし、持ち物はなるべく減らしている。
世の中の仕組み、うすうす分かり始めた。


この歳になって、世の中の仕組みが何となく分かり始めたみたいだ。つまり、還暦を過ぎ、さらに古稀を迎えたころから遅蒔きではあるが、おぼろげながら分かったような気がする。

世界中には、ニュースや情報が満ちあふれている。しかし、そのようなことの背景には何があるか。それは、荒海の波が激しく吹雪いているときに、海底では静かに水が淀んでいるのと似ている。

私たちは海面に浮いている船の中で右往左往するが、嵐は一向に去らない。そんな仕組みではないかと、最近になって分かり始めたのである。
人間の脳が時間を意識するのみ。


ヒトの脳とは、いったい何であろうか? もしかしたら、古代からヒトに寄生をした生物かもしれない。エクナトンやその妻である王妃の頭を思うと、何となく感じるのである。

あまりにも発達をしてしまったために、ふつうの頭蓋には入りきれない。そこで、後方に大きくなったみたい。エントロピーが増大するように、すべてをそこに収納しなければならないと、考えたからだろうか。

しかし、その後その形の頭は少ない。巨人族も、滅びてしまったようだ。その代わり、脳はいろいろなことを考えた。時間の概念もそうであろう。実際には、ないものをあると考え、その理論体系を広げていく。脳の位置にしても、不自然である。シーラカンスのように、逆さまになっていないと、支えるだけで大変であるからだ。
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