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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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「生きている」感じではなく、「生かされている」。


だいぶ以前から、いわゆる「生きている」感じがしなくなった。むろん、自分が生きていることの感覚や実感はある。しかし、何となく「生かされている」ように感じることが多い。

つまり、いつごろからか私は「何かによって飼われている」ような気配を感じるのである。あたかも鶏(にわとり)や蚕(かいこ)が自分たちの最後を知らずに、日々せっせと卵を産んだり、巣作りの糸を吐き出すのと同じ。

家畜は、もはや自然界の動物とはいえないだろう。人間の社会に、単なる食材として組み込まれてしまったからだ。それと同じことが、人間にも言えるのではないか。
経済や戦争などを考えると、多くの人間は消費者や将棋の駒のようなもの。グレート・サムシングやFMの存在が、うすうす見えてくる。
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