rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
リンク集
ブログ内検索
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
何のため、何をするかが大きな悩み。
人生も終盤戦になってくると、日々何のために、何をしているかが問題になってくるのではないか。つまり、たいがいのことは中途半端になってしまいがちだから。そこで、何とかしなければならないと思って途中であせる。
しかし、焦(あせ)ったからとて、その作業が進むわけでない。
考えてみれば、今までの人生には多くのムダがあった。しなくてもよいことをしたり、しなければならないことをなおざりにしたり、いかに自分が愚かだったかがわかる。
その時点では、状態が飲み込めなかったために、そんなことになってしまったわけ。もう少し考えてから、みきわめをつけなければならない。
そんなことが、遅まきながらわかった。
人生も終盤戦になってくると、日々何のために、何をしているかが問題になってくるのではないか。つまり、たいがいのことは中途半端になってしまいがちだから。そこで、何とかしなければならないと思って途中であせる。
しかし、焦(あせ)ったからとて、その作業が進むわけでない。
考えてみれば、今までの人生には多くのムダがあった。しなくてもよいことをしたり、しなければならないことをなおざりにしたり、いかに自分が愚かだったかがわかる。
その時点では、状態が飲み込めなかったために、そんなことになってしまったわけ。もう少し考えてから、みきわめをつけなければならない。
そんなことが、遅まきながらわかった。
PR
この記事にコメントする