rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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読み慣れた『徒然草』と『方丈記』の「死」。
『徒然草』第三十段「人の亡き跡ばかり悲しきはなし。……年月經ても、露(つゆ)忘るゝにはあらねど、去るものは日々に疎しといへる事なれば、さはいへど、その際(きは)ばかりは覺えぬにや、よしなし事いひてうちも笑ひぬ。……さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらむ人は哀れと見るべきを、はては、嵐にむせびし松も、千年を待たで薪にくだかれ、ふるき墳(つか)はすかれて田となりぬ。その形(かた)だになくなりぬるぞ悲しき。」
『方丈記』序の後段「朝(あした)に死し、夕(ゆうべ)に生るゝ ならひ(習い)、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方(いずかた)より來りて、何方へか去る。……いはば、朝顔の露に異ならず。或は、露落ちて花殘れり。殘るといへども、朝日に枯れぬ。或は、花は萎みて露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つことなし。」
私は、何となくエジプト『死者の書』やチベット『バルド・トエ・ドル』を思い出すのですが、……
『徒然草』第三十段「人の亡き跡ばかり悲しきはなし。……年月經ても、露(つゆ)忘るゝにはあらねど、去るものは日々に疎しといへる事なれば、さはいへど、その際(きは)ばかりは覺えぬにや、よしなし事いひてうちも笑ひぬ。……さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらむ人は哀れと見るべきを、はては、嵐にむせびし松も、千年を待たで薪にくだかれ、ふるき墳(つか)はすかれて田となりぬ。その形(かた)だになくなりぬるぞ悲しき。」
『方丈記』序の後段「朝(あした)に死し、夕(ゆうべ)に生るゝ ならひ(習い)、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方(いずかた)より來りて、何方へか去る。……いはば、朝顔の露に異ならず。或は、露落ちて花殘れり。殘るといへども、朝日に枯れぬ。或は、花は萎みて露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つことなし。」
私は、何となくエジプト『死者の書』やチベット『バルド・トエ・ドル』を思い出すのですが、……
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