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rikの新句(十九音)独り言。固定概念にはとらわれず、現時点で「生きている証明」をしました。
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結局は、何もわからぬままに死ぬのか?


今までに、七十年ほど生きてきた。それでも、未だにわからないことが多い。つまり、考えもなく行き続けてきたことになる。何とも、みっともない話。

そして、やがて死ぬだろう。おそらく、その時点でも何一つわかってはいないだろう。非常に残念ではあるが、私の人生はそんなものであった。すなわち、目的もなく生き続けて、何もわからないままに死んでいくのである。

そんなことを考えると、まったくやり切れない。自分自身が愚かであったから、そんなことになってしまった。それを仕方がないと、諦めるのも残念である。そうかと言って、残った人生で解決できる問題ではなさそうである。いったい、どうしたらよいのだろうか。
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考えていると、疑問が次々と増す。


いろいろなことを考えていると、困ったことに疑問が次々と増してくる。わからないことが多く、例えば人間関係。

『徒然草』 第七十五段に、
<つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ。紛るゝ方なく、唯一人あるのみこそよけれ。世に從へば、心外(ほか)の塵にうばはれて惑ひ易く、人に交はれば、言葉よそのききに隨ひて、さながら心にあらず。人に戲れ、物に爭ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。……>
とある。

さらに、驚くべき記述。
<……「生活(しゃうかつ)・人事(にんじ)・技能・學問等の諸縁を止(や)めよ」とこそ、摩訶止觀にも侍(はべ)れ。>
楽しみは朝の吉野家、ルパへの梯子。


妻が働くようになってからは、朝は一人で食事。最初は、部屋で作った食事ではあったが、面倒になって外食をするようになった。支度や皿洗いなどが、何となく億劫であるからだ。

吉野家での朝食は、季節によって変わる。うな丼があるときは、うな丼。ライスカレーがあるときは、飽きないかぎりライスカレー。また、朝の定食も注文するが、不思議なことに牛丼は食べることが少ない。しかし、年間を通じて決まってサントリーモルツ中瓶を必ず飲むことにしている。健康のためである。

吉野家は軽い食事なので、何となく物足りない。そこで、帰りにルパに寄る。そこで、アイスコーヒーと焼きたてパンを一つ。チーズ入りコッペのときが多いが、ときにはフレンチトーストなど。また、時間によっては博多辛子フレンチを食べる。いずれにしても、それで大満足して部屋に戻るのである。
大食いの癖、治らずに古希を過ぎたり。


学生のころから、大食いだったことは事実。そして、還暦・古希となって、その癖は直らない。つまり、胃腸が丈夫なためであろう。腹が空いて仕方がないのである。

そんなわけで、つい大食いをしてしまう。もっとも、古希を過ぎたころから、あまり脂っこいものダメになっった。また、甘いものも何となく避けるようになってしまった。糖尿病を併発しているからである。

とにかく、大食いは治らない。ときには、吉野家で軽い定食を食べた後で、松屋へ行ってウマトマハンバーグなどを食べてしまう。そこまではいかなくても、ふらふらとルパに寄ってアイスコーヒーでチーズコッペなどを食べることは、日常茶飯事。どうも恥ずかしいことではあるが、今後も治りそうない。どうしたものであろうか。
今までにしたことすべて、あまり意味なし。


決して怠惰や不真面目ではなかったと思うが、それでも今までにしたことが、あまり意味のないことだったような気がする。意味があるのかないかなどは、主観的なことであるが、まったくムダな人生を過ごしてきたように思う。

やり直せるものなら、やり直してみたい。しかし、やり直したところで同じような結果になるだろう。地獄に下って、しょこう王か閻魔大王に、「お前は、前のときも同じような失敗をして、言い訳をしたぞ。いったい何度目だ」と追求される場面が『往生要集』にあったと思うが、人間の愚かさは、そんなものらしい。

脳のもたらす幻影か、記憶の過ちか、いずれにしてもムダなことが多い人生である。そのようなことに気付いたときは、何とも空しい気がする。
ただ単に、生かされてきた事実あるのみ。


古希を過ぎたところで、今までの過去を振り返ってみた。すると、あまり輝かしい過去はなく、自分が生きてきたというよりも、何となく生かされてきたという事実があるだけである。

あまり能力がなかったので、仕方のないことかもしれない。あたかも飼われている家畜などのように、日々それなりに過ごしたのである。

いろいろと考えたことは、それなりにあった。しかし、できなかったのである。むしろ、しなかった怠慢を反省しなければいけないのかもしれない。そんなことに気付いたときは、もはや体力と気力が衰えてしまって、何事も億劫に考える老人になっていることが、自分でもわかった。
いつ来るかわからぬガンに、なすべくもなし。


この頃、知人が次々とガンで死んだ。中には、ベテランの医者もいる。どうやら、避けられなかったらしい。つまり、なった原因がよくわからないのである。

それでも私は、ガンになりにくいライフスタイルとして、
(1) よい水を飲む
(2) よい食べ物を食べる
(3) 生活習慣に注意をする
などを考えて、実行している。

水道水に含まれる塩素・フッ素は人体に好ましくない。私は、飲む前にハーレーで取り除くようにしている。ダイオキシンは人体に蓄積するとガン(癌)を誘発するので注意。そして、食べ物は肉食よりも、野菜・根野菜食。生野菜や果物も有効。さらに、生活習慣にとしては、あまり激しい運動はダメ。こまめに身体を動かす程度でよい。
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